理由−2−
花梨と泉水は、泰長と向かい合う形で座った。
花梨と泰長がお互いに話があるということで実現した対面だったので、仲介しただけの自分が同席するのはどうかと気遣い、花梨を泰長に紹介した後退席しようとした泉水を、二人が引き留めたのである。
泉水は泰継と共に玄武の加護を受ける八葉であり、八葉の中で唯一、泰継の出自を知る人物である。泰長も花梨も、泰継自身が泉水に自らの出自について語ったことを知っていた。
泰継の出自については、口さがない人々の間では既に噂となっていることなので、泰継自身も特に隠している訳ではないようだが、積極的に話しているという訳でもない。相手を驚かせることになるのを自覚しているからだ。
その泰継が泉水には真実を話したという事実から、彼の泉水への信頼の深さを知ることが出来た。
だから、泰長も花梨も、泉水に同席してもらうことにしたのだ。彼らが互いに相手に話したいと考えていたのが、他ならぬ泰継のことだったからである。


「突然お呼び立てして申し訳ありませんでしたな、神子殿」

神子の務めを休んで安倍家を訪れた花梨に、泰長は先ずそう詫びた。
自分の倍ほどの年齢の人物に頭を下げられ、花梨はすっかり恐縮してしまった。

「いいえ。私も、ご当主には一度お会いしたいと思っていましたから……」
「ほう。それは光栄ですな」

笑みを浮かべながら快活に話す泰長に、花梨は好感を持った。
安倍家の当主と聞いて、花梨は白髪で鹿爪らしい顔の老人を想像していたのだが、意外なことに泰長はまだ若かった。翡翠と同じくらいだから、三十代前半といったところだろうか。

「泉水殿にもお手数をお掛け致しました」
「いえ、そのようなことは……。私は神子をお連れしただけですから」

泉水に向き直って先程花梨にしたのと同じく頭を下げる泰長に、泉水の方が恐縮している。位階は一つ違いとは言え、泉水の方が上位なのだが、彼は自分より目上の人物として泰長に接しているようだ。
二人は友人と呼べるほどの関係ではなさそうだが、単なる顔見知り以上に打ち解けているように、花梨には見受けられた。
「お二人は、以前からのお知り合いなんですか?」
泉水が八葉となって泰継と行動するようになる以前からの知り合いなのだろうかと疑問に思った花梨は、思わず訊ねていた。
泉水が隣に座る花梨に視線を向け、泰長も泉水から花梨に向き直る。
先に口を開いたのは、泉水の方だった。
「ええ。私が出仕している式部省は、朝廷の儀式儀礼を司る役所なのです。そして、泰長殿が頭を務められている雅楽寮(うたまいのつかさ)は歌舞を司る役所ですから、儀式の打ち合わせなどでお会いする機会があるのです」
「“うたまいのつかさ”?」
聞きなれぬ言葉に、花梨が首を傾げる。
「雅楽寮は、音楽の演奏や演舞を行ったり、楽人や舞人の養成を行っている役所なのですよ。私はその長官である雅楽頭(うたのかみ)を拝命しているのです」
泉水に代わって泰長が答えると、花梨は「えっ!?」と声を上げた。
泰長は安倍本家の当主であるから、てっきり陰陽寮に出仕しているものと思い込んでいたのだ。雅楽や舞を事とする役所に勤める官人だとは、思いもよらなかったのである。
そんな花梨の様子を見て笑い声を上げた泰長には、彼女の疑問はお見通しだったようだ。

「『安倍の宗主が何を…』――と思われるでしょう。しかし、私が昔から勤めてみたかった職場なのですよ、雅楽寮は」

――そのために、これまで陰陽博士や暦博士なども大人しく務めておりましたから。
言いながら、泰長は悪戯っぽく笑う。

「もちろん、陰陽寮を離れても、個人的な依頼を受けて、陰陽師として働くことも多いのです」

一門の人間を陰陽寮に出仕させる以外にも、安倍家には主に摂関家等の権門貴族から、個人的な依頼も持ち込まれていたのだ。それらの依頼の一部は泰継にも回され、時折山を下りて陰陽の力を揮うことがあったということは、泰継自身から聞いて花梨も知っていた。
すると、花梨の隣で聞いていた泉水が、泰長の言葉を引き継ぐように補足した。

「神子。泰長殿は高名な陰陽師として知られているだけでなく、龍笛の名手としても知られるお方なのですよ」
「いやいや。私など、泉水殿の足元にも及びませぬよ」
笑いながら、泰長は謙遜する。そして、それに対して否定の言葉を口にしようとした泉水にその暇を与えず話し始めた。

「実はね、神子殿。私は子供の頃、家業を継ぐつもりなど、毛頭なかったのですよ」

陰陽師としての才があると言われながら、幼い頃から泰長が興味を持っていたのは楽であった。龍笛を始め琵琶や琴など、主立った楽器の奏法を習得し、将来は宮廷楽師になりたいという夢を抱いていた。
しかし、陰陽道の大家、安倍本家の跡取りとしての立場がそれを許さなかった。

「陰陽師としての修行に一向に力を入れようとしない私に業を煮やした父が、私を北山に送ったのです。『泰継殿の元で修行せよ』、と――」

花梨は大きく目を見開いた。隣に目を遣ると、初耳だったのか、泉水も驚いた様子だった。

「ですから、泰継殿は私の師匠なのです」

向かいに並んで揃ってぽかんとした表情を浮かべている泉水と花梨を見て、泰長は面白そうに笑った。
しかし、直ぐに表情を改めると、本題に入った。


「本日、神子殿にお越し頂いたのは、既に泉水殿からお聞き及びでしょうが、他ならぬ泰継殿のことなのです」

泰長の言葉に、花梨ははっとする。彼の表情と声音から、世間話はここまでだと悟ったのだ。

「泰継さんが北山に帰ったっていうのは、本当なのでしょうか?」
花梨は先ず、泉水が泰長から聞いたという話の真偽を確認した。
その質問に頷いた後、泰長はその情報の出所を花梨に明かした。
「どうやら、そのようです。――実は、一昨日の夜、北山の大天狗殿が私に使いを送り、知らせて来たのです。『泰継は北山におるぞ』、と――」
「北山の大天狗さん…?」
鸚鵡返しに花梨が問う。神子の務めで北山を訪れた際、怨霊と化した天狗と対峙したことがあるが、泰長が言う大天狗は怨霊とは別の者だろうと思ったのだ。

「神子殿は泰継殿から聞いておられるでしょう。泰継殿と出自を同じくする者の存在を――」
「泰明さん……ですよね?」
花梨の質問とは一見かけ離れた話題を持ち出した泰長に少し戸惑いながらも、花梨は泰継から何度か聞かされていた名前を答えた。
花梨の返答に泰長が頷く。

「あ、あの…それは、一体……?」
泰長と花梨の間で交わされる会話に付いて行けなかった泉水が、少し混乱した様子で二人に訊ねる。
「ああ、失礼しました。泉水殿はご存じなかったのですね」
そう前置きして、泰長が泉水の疑問に答えた。

「泰継殿は、私の高祖父、安倍晴明の陰の気を核として、九十年前に造られたのです」

泰長の言葉に泉水が息を呑むのが、隣に座る花梨にも伝わって来た。泰継自身から彼が安倍家に造られた存在であることは聞いていたし、「北山に庵を結んでいる安倍の方は何十年も姿が変わらない」という噂を耳にしていたという泉水だが、やはり実際に安倍家の当主から詳細を聞かされ、驚いたのだろう。泰継の外見からは、彼が九十年もの歳月を生きて来たようには、とても見えないから。

「百年前、京に龍神の神子が召喚された際、安倍家の陰陽師が八葉に選ばれました。名は安倍泰明。晴明の弟子で、晴明が自らの陰の気を人型に封じて造った、泰継殿と同じ出自の者でした」

泰長は一旦言葉を切った。そして、吃驚して言葉を失くした様子の泉水から花梨に視線を移すと、先程の花梨の質問に対する答えを告げたのだった。

「晴明が泰明に人型を与える際、手を貸したのが、北山の大天狗殿なのです」

今度は花梨が吃驚した表情を見せた。
そう言えば、散策の途中で泰継と話をした時、天狗のことが話題に上ったことがあった。北山に独りで暮らしていて淋しくはないのかと訊ねた花梨に、話し相手には不自由していないと答えた泰継が一例として挙げたのが天狗だったのだ。
では、泰長に使いを送って来たという北山の大天狗とは、泰継の話し相手だった天狗なのだろうか。
花梨がそんなことを考えている間に、泰長が続けて言った。

「晴明の死後、精髄のまま保管されていた泰継殿に人型を与えたのは、私の曽祖父である吉平と弟の吉昌だと聞いております。ですが、大天狗殿は、泰継殿の親御を自任しておられるようです。ですから、泰継殿に何かあると、こうして本家に知らせて来るのですよ」

話しながら、泰長は口元を綻ばせていた。子供の頃、修行のため父に送り込まれた北山で見た天狗と泰継の、傍目には仲むつまじいと言えなくもない親子ぶりを思い出したからだ。
しかし、使いを通して聞いた天狗の言葉を思い出すと、口元に微かに浮かんでいた笑みは、忽ちの内に消え失せた。


『あやつ、気の乱れを鎮めることができなくなっておるようじゃ』

天狗は、泰継の身に起きた異変について、そう話した。
幼い頃から泰継のことを知っている泰長であるが、泰長の知る限り、泰継は感情の起伏に乏しく、常に泰然としていた。そんな彼から、気の乱れなど感じたことはなかったのだ。気の乱れは、感情というものの揺らぎから生じることが多いからだ。
気の乱れを鎮めることが出来ないということは、現在、泰継は陰陽の力を思うように使えない状態にあるということだろう。それでは、神子を守るという八葉の務めを果たすことは出来ない。

(だから、泰継殿は北山に篭られたのか……)

泰継の庵が在るのは北山でもかなり奥深い場所であり、辺りは常に霊妙な空気に包まれている。それに、近くには霊水の湧き出る泉もある。気を整え、養うのに適した場所と言えるだろう。
しかし、それだけではない、他の深刻な何かを今の泰継は抱えているのではないか――。
そう思い、天狗に訊ねてみたが、天狗から具体的な話を聞くことは出来なかった。
――知っているが話すことは出来ぬ。
天狗の言動から、泰長は天狗が敢えて口にしなかったその言葉を感じ取っていた。



「泰長殿…?」
不意に顔を曇らせ、黙り込んでしまった泰長を気遣い、泉水が声を掛けた。
俯き加減で考え事に沈んでいた泰長が顔を上げる。
向かいに座る二人に、泰長は天狗から聞いた泰継の現状について説明することにした。
すなわち、気の乱れから陰陽師としての力を揮うのに支障が生じているらしいこと。
それを解消するため、八葉の務めを休み、北山に篭って気を整えようとしているらしいこと――。

「じゃあ、泰継さんは大丈夫なのでしょうか? 気を整えることが出来たら、戻って来てくれるんでしょうか?」
心配そうな面持ちで花梨が問う。
泰継が姿を見せなくなったのは、花梨の物忌みの日の翌日からだった。もしかしたら、既に具合が悪かったのに、無理をして物忌みに付き添ってくれたのではないかと思ったのだ。
(私、全然気が付かなかった……)
もし、あの日気付いていたら、自分にも何か出来たかもしれないのに……。
花梨は、気まずい雰囲気のまま泰継と別れてしまったことを後悔した。

「泰継殿は、理由もなく役目を途中で投げ出すような方ではございませんよ。ただ……」

言い止したまま、泰長は何事か考え込むような仕草を見せた。
顎に手を遣り、暫くの間言うべきか言わずにおくべきか逡巡した後、泰長は口を開いた。

「……実は、もっと深刻な事態があの方の身に起きているのではないかと、私は考えているのです」

泰長の言葉に花梨と泉水は息を呑んだ。
勝手な推測に過ぎませんが、と泰長が付け加えるが、花梨と泉水よりも古くから泰継のことを知る人物、しかも高名な陰陽師である安倍家の宗主の見立てである。根拠のないただの憶測だとは思えなかったのだ。

「あの、“深刻な事態”――とは…?」
恐る恐る泉水が訊ねる。できれば真実を聞きたくないのだが、確かめずにはいられないといった様子である。
泉水の問いに泰長が答えるより先に、花梨が口を開いた。

「……もしかして、泰継さんが消えるかもしれない――ということ…ですか?」
「神子っ!? 何を仰るのです!?」

花梨が泰長に問い掛けた言葉に驚愕した泉水が叫ぶように言った。
あの泰継が消えるなど、想像するだけで背筋が凍り付く思いがする。それを敢えて口にした花梨を、泉水は信じられないという面持ちで見遣った。
しかし、泰長は花梨の言葉を否定しなかった。
「飽く迄も可能性です。しかも最悪の。――考え過ぎなのかも知れません。しかし、泰継殿にとって今まで経験したことのない、徒ならぬ異変が起きているのは事実でしょう」
泰継が北山に帰って、今日でもう四日目になる。気を整えるだけにしては長過ぎる。
『気の乱れを鎮めることができなくなっている』と天狗は言っていたが、それ程に酷い状態なのか――。

「では、糺の森で泰継殿にお会いした時、私があの方に抱いた違和感は、その所為なのでしょうか……」
少し震えを帯びた声で、泉水が呟く。
いつもの力強さが感じられず、何処か儚げに見えた背中――…。
あの時、既に泰継の身体に異変が生じていたということなのだろうか。
歩み去る泰継の後姿をただ見送ることしか出来なかったあの日の自分を思い出し、泉水は無意識に唇を噛んでいた。

「北山には大天狗殿がいらっしゃる。我々より遥かに長い時間を泰継殿と共に過ごして来た御仁です。何かあれば、直ぐに知らせて下さるでしょう」

口を閉ざしてしまった二人を励ますように、泰長が言う。

三人の間に重苦しい沈黙が流れた。
themes' index next back top