理由−4−
夜の帳が下りた頃―――



『どうじゃった、泰長? 此度の龍神の神子は』

自らが遣わした式神を通して、泰長は北山の天狗と向かい合っていた。

晴明が亡くなって以降、天狗は安倍本家を訪れることを止めていた。町へ下りて来ることすら、ほぼ無くなってしまったのである。
しかし、天狗は晴明の子孫である安倍本家の歴代当主たちとは、ずっと繋がりを持ち続けて来た。数年前に先代の当主が亡くなり、その跡を継いだ泰長とは、彼が泰継の元で修行していた頃から知っていたこともあり、吉平より後代の当主たちに比較すると、特に頻繁に連絡を取り合っていたと言える。

「そうですね。一途で可愛らしい方でしたよ」
無意識に笑みを浮かべながら泰長は答えた。
今日は彼女の満面の笑みを見ることは出来なかったが、きっと見る者を温かな気持ちにさせるような、明るい笑顔の持ち主なのだろうということが想像出来た。
「それに、やはり龍神が選んだ龍神の神子。暖かで、清らかな気の持ち主でした」
『そうか、そうか』
式神を通して聞く天狗の声は、喜色に満ちていた。声を聞いただけでも、天狗が満足げに頷きながら、満面に笑みを湛えているのが判るくらいである。
「神子殿は、泰継殿のことを好いておいでのようですね」
『ほぉ?』
泰長が漏らした言葉を聞いて、天狗は嬉しそうな声を上げた。
神子がどうやら泰継のことを好いているらしいということは、天狗は町を散策中の神子と泰継を見かけた鴉達から聞いて知っていた。実際に神子と言葉を交わした泰長からその情報の裏付けを得られたことに満足したのだ。
「泰継殿のことも、非常に心配しておいででした」
『泰継なら、あの様子であれば、明日は神子に会いに行くじゃろうよ』
夕刻、泰継に会った際、明日は必ず神子の元を訪れるよう、釘を刺しておいたのだと天狗は話す。泰継から明確な返答はなかったが、彼の沈黙は諾という返答と天狗は受け取っている。否であれば、泰継ははっきりとそれを口にする性格だ。
それに、もし泰継が動かないようであれば、泰明の時と同じように、神子に足を運んでもらえば良いだけだ、と天狗は考えている。
「では、気の乱れの件は解決できたのですか?」
『解決…はしておらぬようじゃなぁ。気の乱れの所為で、力の消失が止まらぬようじゃし……』
のほほんと返された答えに、泰長は驚いた。
「何ですと!? 力の消失とは、一体……?」
『言葉通りの意味じゃよ』
泰継は人のように食事をするわけではなく、五行の力をその身に蓄えることにより、陰陽の力を行使したことによる消耗から回復する。そのことを、泰長は知っていた。
力の消失が止まらなければ、いずれ泰継は身の内の全ての気を失い、待つのは人型としての死のみだ。
(では、早急に気の乱れを鎮める必要があるということか……)
恐らく、それを手助け出来るのは――…。
(神子殿以外にはいないだろう……)
――だから天狗は、泰継に告げたのだ。明日、必ず神子の元を訪れよ、と――…。
泰継の身に深刻な事態が起きていても暢気そうな言動をする天狗だが、それを回避するために必要な措置は既に取っているということだろう。口では何と言っていても、天狗は泰継の親代わりとして、彼を溺愛しているのだ。
それを知っている泰長は、小さく安堵の息を吐いた。



「大天狗殿。貴方にお伺いしたい事がございます」
表情を改め、泰長が言う。
『何じゃ?』
「今日、私は神子殿から問われました。『泰明は何故人となれたのか』、と――」
「おや?」という風に、天狗が片眉を上げた。それは今日、天狗自身も泰継から問われた質問だったからだ。
「その問いについては、泰継殿ご自身も、今まで何度も貴方にお訊ねになられたと聞いております。しかし、貴方は決してお答えにはならなかったと……」
『泰継がお主にそう言ったか?』
「ええ」
泰継に教えを乞うていた子供の頃、泰長は彼から泰明のことを聞いたことがあった。その際、今日自分が神子から受けたのと同じ問いを、泰継に訊ねたことがあったのだ。それに対する泰継の答えが、泰長が天狗に話した通り、「何度も天狗に訊ねたが、天狗は答えなかった」というものだった。
その後、泰長はその疑問に対する答えを得ようと、幾度と無く泰明と彼の神子のことを考えた。
そして、一つの仮説を導き出した。
泰継にも話したことのないその仮説を告げて、天狗の反応を見ようと泰長は考えた。

「泰明は神子を愛したのではないですか? そして、神子もまた泰明を愛したのではないのですか?」

天狗は無言のまま答えない。
それを予測していた泰長は、式神の目を通して天狗を見据えて言う。

「だからこそ、泰明は人となり、元の世界に帰る神子と共に、異世界へ渡ったのではないか――。安倍の家に伝わる話から、私はそう推測しているのです」

その推測が正しいのかどうかを、泰長は天狗に問わなかった。もはや問う必要がなかったのだ。
泰継のことを想う神子が自分と同じ考えであるのなら、恐らくそれは推測ではなく真実なのであろうと考えたからだ。

「此度の神子も、泰継殿のことを好いておいでです」
――泰明の神子がそうであったように。

「神子殿は、こうも仰いました。『泰継殿に消えて欲しくない。泰継殿を失いたくないのだ』、と……」
――恐らく泰明の神子も同じ事を考えたことだろう。彼の出自を知った時に……。

「実際に神子殿にお会いして、私は確信いたしました。あの娘ならば、泰継殿が惹かれないはずがないと……」

普段煩いくらいに饒舌な天狗が、珍しく黙り込んだまま口を開こうとしなかった。
天狗の沈黙に構わず、泰長は最も天狗に確認したかったことを問い掛けた。

「泰継殿ほどの方が鎮めることができぬ気の乱れとは、神子殿を『愛しい』と思うが故に生じたものではないのですか?」

あの時―――。
神子と話していた時、ふと脳裏を過ぎった考え。
今、泰継を襲っている気の乱れとは、造られし者である泰継が初めて知った感情の揺らぎから生じたものではなかろうか。
初めて抱いた感情に戸惑う気持ちが気の乱れを生じさせ、元来陰の気に偏りがちの泰継の身の内の気の均衡を崩し、更に激しく掻き乱しているのだろう。
人ならぬものである自分を自ら戒めている泰継は、自分には心が無いと思い込んでいる節がある。そのことに、泰長は彼と出会って間もない子供の頃から気が付いていた。
しかし、彼に心が無いなどと、泰長には思えなかった。
北山で、天狗や動物達に接する泰継の姿をこの目で見たからだ。そして、突然押し掛け弟子となった自分に対する彼の態度からも、泰長は彼の優しさを感じ取っていたのだ。
だが、泰継自身は心が無いはずの自分にそのような感情が生じるとは考えた事もなかったのだろう。それ故、生まれて初めて抱いた感情に戸惑い、翻弄され、冷静に対処できない状況に陥っているのだと、泰長には感じられた。



『お主……。相変わらず泰継のことに関しては鋭いのう』
それまで口を閉ざしていた天狗が嘆息しながら言った。感嘆が含まれた口調は、半ば呆れているようでさえある。
天狗の返答を肯定の意味と受け取った泰長は、天狗の口調に忍び笑いを漏らした後、わざと澄ました表情を作ると、自慢げに天狗に告げた。
「当然です。私の自慢の師匠ですから」
北山で隠遁生活を送っていた泰継は、弟子を取ったことはない。だから、自分が彼の唯一の弟子であるとの誇らしく思う気持ちが、泰長にはあったのだ。
しかし、泰継を溺愛している天狗には面白くなかったようだ。
『あれは、儂の“自慢の息子”じゃぞ?』
「おや、“可愛い息子”ではございませんでしたか?」
揶揄うように泰長が突っ込む。天狗がその言葉を使う度に、泰継に冷たい目を向けられていることを知っていたのだ。
『ならば、儂の“自慢の可愛い息子”じゃ!』
子供のように向きになる天狗に、泰長はとうとう堪えきれずに笑い出してしまった。
(泰継殿は本当に愛されていらっしゃる……)
泰長が上げた笑い声に、天狗が憮然とした表情を浮かべている。普段は天狗の方が泰継を揶揄って彼の反応を楽しんでいるので、揶揄われることに慣れていないのだ。


一頻り笑った後、泰長が笑いを収めると、先程まで憮然としていた天狗が真顔に戻り、ぽつりと呟いた。

『時が満ちたようじゃな…』

泰長は、天狗の声音がいつもとは違うことに気が付いた。

「……淋しいとお思いですか?」

暫しの沈黙の後、泰長が問い掛ける。
泰継が泰明と同じ道を辿り、神子と想いを交わして人となった場合、泰明と同様に京を捨て、神子の世界に渡ってしまう可能性が高い。
吉平の死後、泰継が安倍家を出て北山の庵に居を移してから、既に七十数年の月日が流れている。その間、最も泰継の近くに居て、彼を見守って来たのは、間違いなく天狗だろう。
だから、天狗の声音には、一抹の淋しさが含まれているように聞こえたのだ。
しかし、少し考えた後、天狗は首を横に振った。

『いいや。あやつが泰明と同様、幸せになれるのであれば、儂はそれで良いんじゃよ』

天狗は遠くを見るような眼差しで、空を見上げた。鬱蒼と生い茂る木々に阻まれ、月や星の光は天狗の棲家までは届かない。それにも拘らず、天狗の目は眩しいものを見つめているかのように細められ、口元には微かに笑みが浮かんでいた。

『儂ら妖しの者は時の流れから切り離された存在じゃ。人の世と交わらず、ただ流れ行く時間と人の世の営みを遠くから眺めるのみ――。泰継もまた、生まれた時から儂らと同じ、時の流れから切り離され、取り残された存在じゃった』

天狗の言葉に、泰長は僅かに視線を落とす。
出会った頃、当時の泰長より十歳以上年上に見えた泰継だが、あれから二十年余りが過ぎて、今は泰長の方が泰継より十歳以上年長に見えるのだ。
泰継が時の流れから取り残された存在であるという天狗の言葉は、真実である。真実であるが、何故か胸が痛む思いがした。
そんな泰長の心の内を知ってか知らずか、天狗は言葉を続けた。

『その泰継が人となり、正常な時の流れに還ろうとしているのじゃ。こんな喜ばしい事はないじゃろう?』

――漸く、晴明に報告できるというものじゃ…。
天狗のその言葉に視線を元に戻した泰長は、同じく視線を目の前の式神に戻した天狗と見つめ合う形となった。


『儂の事より、お主、自分の心配をした方が良いのではないかの?』
「はぁ?」
しんみりとした口調から、突然いつもの揶揄するような口調に切り替えた天狗に、泰長は少し間の抜けた声を上げていた。
『泰継が神子の世界へ行ってしもうたら、お主、楽よ舞よと言ってられぬぞ』
天狗はニヤニヤしている。先程揶揄われた仕返しをしようというのだ。それを感じ取り、泰長が顔を顰めた。
現在、安倍一門に属する陰陽師の中で最も高い能力を持つのは、間違いなく泰継である。それ故、泰継は他の陰陽師達の手に負えない難しい仕事を請け負っていた。その泰継がいなくなれば、彼が請け負っていた仕事が泰長に回って来ることは必然だ。泰長は泰継の唯一の弟子であり、安倍家の当主として彼に次ぐ能力の持ち主だったからである。
「あ〜ぁ。十数年真面目に勤めて、漸く幼い頃から夢見た仕事に携わることが出来るようになったというのに……」
憮然とした表情を情けなそうな表情に変えて、泰長が言う。
その口調に、天狗は含み笑いを漏らした。彼のこういうところは、子供の頃から変わらない。普段は安倍本家の当主として毅然としている泰長だが、子供の頃を知る天狗や泰継の前では、こうして子供っぽい部分も自然に曝け出している。天狗が泰継と同様に泰長を可愛がる所以である。
「――斯くなる上は、神子殿にお願いして、神子の務めを終えた後も京に留まって頂くしかありますまい」
情けなそうな表情を浮かべていたかと思うと、今度は良い事を思い付いたと言わんばかりに泰長が言う。
『おいおい。泰継がそんな事を許すと思うか?』
呆れたように天狗が言うが、天狗は泰長がわざと戯けて言っているのだと見抜いていた。泰長とて、泰継が神子に自分の世界を捨てさせる選択をさせるなどと、考えてはいまい。ただ、戯れ言の中に自分の願望を紛れ込ませて口にしただけなのだろう。
天狗は溜息を吐いた。
『なんじゃ。お主の方が淋しそうではないか』
「もちろん、淋しいですよ。師匠がいなくなられるのは……」
天狗が拍子抜けするほどあっさりと、泰長は認めた。
「ですが、大天狗殿の仰る通り、あの方がお幸せであればそれで良いのです。私の家は、今まで泰継殿に色々と無理を申し上げておりましたから」
『お主が気に病む必要はないじゃろうよ。第一、当の泰継が気にしておらぬし』
晴明と泰明という稀有な才能を持つ者が去った後も、安倍本家の当主にはそれなりに力を持つ者が立ったが、やはり彼らに及ぶ者はいなかった。吉平が亡くなった後は特にその傾向が顕著となり、本家では泰継の力を頼みとすることが多くなったのだ。特に泰長の父、有行は、歴代当主と比較すると能力が低かったため、泰継に仕事を請け負わせることが多かった。
そのことを、泰長は昔から苦々しく思っていたのである。泰継を北山の奥地に追いやっておいて、都合の良い時にだけ彼の力を借りる――。幼い泰長の目には、安倍の家が泰継を良いように利用しているようにしか見えなかったのだ。
そんな自分の家に彼がよく憤っていたことを、天狗は知っていた。それに、自分が当主となった後も、泰継に力を揮ってもらわなくてはならない依頼がいくつもあり、結局自分も父と同じなのだと自らを責め、力不足を嘆いていたことも、天狗は知っている。
「泰継殿が気にしておられなくても、私は常に気にしておりますよ。――ですから、あの方には幸せになって頂きたいのです」
恐らく、あの神子であれば、泰継を幸せにできるだろう。
それを、今日、確認した。


『すべては明日じゃな』
「はい」
天狗の言葉に泰長が頷く。
神子は安倍家を辞した後、泰継に会うため直ぐにでも北山に向かおうとしていたようだが、今から向かっても夕刻になってしまうからと、泉水と二人で引き止めたのだ。


明日には、泰継も神子の元を訪れるだろう。
その時、彼は神子に何を告げるのか――。


だが、天狗も泰長も、泰継が泰明と同じ道を辿るものと確信していた。
神子の泰継への一途な想いと、泰継が神子に抱く『愛しい』という感情――。
それが、必ずや泰継に奇跡を齎し、彼を人とならしめるはずだ。


きっと、次に泰継と会う時には、人となった彼に会えることだろう。


「泰継殿が人となられたら、三人で酒でも酌み交わすと致しましょうか」
『ほぉ。それは楽しみじゃなぁ』


愛息子を溺愛している親代わりと、師を尊敬して止まない弟子は、そう約束して、運命の日を待つことにしたのだった。







〜了〜


あ と が き
いろはのお題「物忌み」の四日後、泉水さんと共に安倍家の当主、泰長さんを訪ねる花梨ちゃんのお話……と言いつつ、進むにつれて親バカ天狗と師匠命の弟子が目立つ話となってしまいました。
「理由」というお題には、「泰継さんが花梨ちゃんの元を訪れなかった理由」、「泰明さんが人になれた理由」、そして「泰明さんが神子の世界へ渡った理由」という意味を関連付けてみました。でも、実際にこの話で書きたかったのは、泰継さんを心配する周囲の人々だったりします。あと、第三話の花梨ちゃんのセリフですね。
安倍家の当主、泰長さんが初登場。名前だけは拙宅の創作では既に出していたのですが、この人の設定自体はかなり昔に作ったものです。北山に独りで住んでいた頃、泰継さんの元を動物達が頻繁に訪れていたようなので、子供が相手ならどうなのだろうと話を考えたのが最初です(作中で泰長さんが語っていた、「楽などに現を抜かさず真面目に修行しろ」と父親に北山に送り込まれた件がそれ)。この方、一言で言うと「単なる泰継ファン」です。元服の際、泰継さんの名前から一文字もらって名付けて貰っているくらいなので。でも、それだけ師匠のことを尊敬しているのです。超マイナーとは言え、歴史上存在した人物に勝手に変な設定をあれこれ付けていますが、泰長さんが雅楽頭だったというのは一応史実通りです。ただ、雅楽寮については、「遙か2」がモデルとしている時代よりも前の時代の設定と言えるかもしれません。
この翌日、大切な恋第四段階を迎えるはずなのですが、うちの花梨ちゃん、泰長さんに頼まれるまでもなく、泰継さんに会うため北山に押しかけて行きそうな勢いなので、北山でイベントが起きそうですね(笑)。いえ、ちゃんと火之御子社で起こしてもらいますけど。「願い」のあとがきで、「ゲーム通りになってしまうので恋愛イベントは創作には書かないつもり」と書いたのですが、この二人はゲーム通りにはならないですね。一応この話の花梨ちゃんと泰継さんの第四段階イベントの話はあるので、いずれ書いてみたいと思います。お題「連理」の予定です。
読んで下さった皆様、ありがとうございました!
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