はじめてのお食事−3−
そのころ、花梨の部屋では、朝餉の膳を前に困惑した表情を浮かべる泰継の姿があった。

「私も朝餉はまだだったんです。泰継さんと一緒に食事できるなんて、嬉しいです」
なぜか花梨は、眩しいくらいの笑顔である。
泰継は溜息を吐いた。
「絶食した後は、やっぱりお粥のほうが消化もいいと思ったんですけど、食べられますか?」
膳の上の椀を手に取ろうとしない泰継の代わりに、花梨はまだ白い湯気の立ち上っている椀を手に取った。それを泰継の手に持たせようとするが、泰継は受け取ろうとしない。
「神子……。だから、私には食事は必要ないのだ」

彼女と自分の違いを感じてしまう。
私は、人ではないものだから……。

泰継は、視線を床に落とした。

「食べなきゃ駄目です!」
花梨は声を荒げた。
その声に驚いて、泰継は顔を上げた。
花梨はさっきまでの笑顔を消し、きっ、と泰継の顔を睨み付けている。
泰継は目を瞠った。
すると花梨は一転して心配そうな表情を浮かべ、泰継を見た。また少し目が潤んでいる。
「泰継さんは人になったんです。だから、毎日ちゃんと食事して、夜はちゃんと眠らないと、身体の具合が悪くなって当然でしょう?」
泰継に訴えるように話す。
「お願いですから、これからは、食事と睡眠をしっかり取って下さい」
「………」
泰継は、目を見開いたまま呆然としていた。

――では、昨日の眩暈やここ数日の体調の悪さは、食事をしていなかったから…なのか……?

花梨の言わんとすることを察し、泰継は彼女の瞳を見つめ返して呟いた。

「では…、私は、消えずにいられるのだろうか……?」

――まだ、神子の傍にいられるのだろうか……?

異色の瞳が揺れていた。
花梨は再び微笑みを浮かべて、泰継を見た。
「泰継さんは、消えたりしません。だって、泰継さんは人になったんだもの」
花梨は、泰継の手に粥の入った椀を手渡した。まだ呆然とした様子で、泰継はそれを受け取った。

(――…温かい……)

手にした椀から、心地よい熱が伝わってくる。
食べ物とは、こんなに温かいものだったのか。

――今まで知らなかった。
   九十年もの間、ずっと……。

泰継は、椀の中の汁粥を見つめた。
汁が多めの白い粥……。
消化が良いようにと、神子が自分のために頼んでくれたものだろう。
泰継は、両手で包むように椀を持ったまま、ゆっくりと目を閉じた。
椀から伝わってくる温かい熱と、立ち上る湯気の温かさ……。そして、神子の優しさが泰継を包み込む。

「美味しいですよ。食べてみて下さい」
花梨に勧められ、もう一度椀の中に視線を向けた後、泰継は箸を手に取り、椀に口を付けた。
温かくて柔らかい粥は、喉越しが良かった。
泰継のすぐ傍に座って、花梨はその様子をじっと見守っていた。
生まれて初めての朝餉を、泰継はどう思ったのだろうか。

「どうですか?」
自分の膳に手を付けず、じっと見守っている花梨に、泰継は微笑みを浮かべて答えた。
「温かくて美味いと思う」
花梨の顔に笑みが広がっていく。
「良かった」
心の底から嬉しそうな花梨の表情を、泰継は眩しそうに見つめた。
それに気付いた花梨が頬を赤らめる。
泰継は箸と椀を膳の上に置き、花梨のほうに向き直った。
「私は、いつもお前に教えられてばかりだな」

食べ物の温かさも
人の心の温かさも
すべて、彼女が教えてくれたものだ。

「ありがとう、神子……」

泰継の微笑みに、花梨も笑顔で応えた。
頬を紅潮させて自分を見つめる花梨が愛しくて、泰継は彼女を抱き寄せた。
花梨はそれに逆らわず、泰継の背中に手を回し、目を閉じて愛する人の胸に顔を埋めた。
泰継は、花梨を抱き締める腕に力を込めた。

神子の暖かい気が伝わってくる。
先日来の体調の悪さが一気に癒されていくような気がするのは、気のせいだろうか?

(いや……。恐らく、私はいつも神子に守られているのだろう)

腕の力を少し緩め、泰継は花梨の顎に手をやり、俯いていた花梨の顔を自分の方に向けさせた。
間近で泰継の色違いの瞳に見つめられた花梨は、一瞬だけ驚いた表情を見せたが、柔らかく微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。
泰継の手が、優しく撫でるように顎から頬にずらされたのを感じた直後、柔らかな唇が花梨の唇に重ねられた。





静寂に包まれた部屋に、ぱちり、と炭が爆ぜる音が響いた。






◇ ◇ ◇






翌朝―――

朝餉を終えた花梨と泰継の元に、紫姫がやって来た。

「神子様、泰継殿、おはようございます」
「おはよう、紫姫」
紫姫の挨拶に、花梨は笑顔で返した。

(……まあ……)

その笑顔を見て、紫姫は目を瞠った。
花梨の笑顔が大好きな紫姫だったが、こんなに幸せそうな笑顔は見たことがなかった。
紫姫は、花梨の笑顔の原因である人物に向き直った。
昨日、今にも倒れそうな顔色でこの屋敷を訪れた泰継だったが、花梨の看護が実を結んだのか、今朝は随分と顔色が良いようだ。

「泰継殿。もう起きていてもよろしいのですか?」
「問題ない。昨日は世話になった」
「大事に至らなくて、ようございましたわ。でも、お体は大事になさって下さいませね。神子様だけでなく、八葉の皆様方もご心配なさいますから」
紫姫は、昨日、勝真とイサトが心配していた事を二人に話した。
「わかった。今後、このような事がないよう気を付ける」
泰継は頭を下げた。
昨日は朝餉と夕餉の時間以外は、ずっと花梨に夜具の中に押し込められていたのだ。生まれて初めての食事、そして一日中神子の清浄な気を受けていたせいか、今日はとても気分が良い。
眠りと目覚めの周期が変化してからは、ずっと眠りの浅かった泰継だが、花梨が傍に居るとなぜかゆっくり休むことができた。
もっとも、夜になって、「朝まで眠らずに看病する」と言い張る花梨と一悶着あったのだが。

「神子様、イサト殿がお見えになっていますが、お呼びいたしましょうか?」
イサトは、「明日の朝、また様子を見に来る」との昨日の言葉通りに、朝早くからやって来たらしい。
「わかった。ここへ呼んで」
「かしこまりました。ではお呼びしてまいりますわ」
軽く会釈をして、紫姫は部屋を出て行った。


「神子。今日はどうするのだ」
泰継が花梨に訊ねる。
「えっと……。できれば今日は外出したいんですけど……」
花梨は、気遣わしげな表情で泰継の顔を窺った。
「では、私も供に付こう」
口元を微かに綻ばせて、泰継は言った。その言葉に花梨は一瞬笑顔を見せたが、すぐに心配そうな表情に戻った。
「でも……。まだ休んでいたほうがいいんじゃないですか?」
心配そうに見つめる花梨に、泰継は優しく微笑みかけた。
「もう、問題ない。神子のおかげだな」
花梨は頬を染めて、泰継の微笑みに見惚れた。

その時、バタバタと元気の良い足音が、部屋の外から響いてきた。

「よお、花梨! 朝餉は済んでるみたいだな」
「おはよう、イサトくん」
花梨はイサトに微笑みかけた。
その笑顔に一瞬見惚れたイサトだったが、すぐに泰継の方を向いて言った。
「調子はどうだ? もう起きてて平気なのか?」
イサトは泰継の顔色を窺った。昨日はとても顔色が悪かったと紫姫が言っていたが、今目の前にいる泰継の顔色は相変わらず白いけれども、いつもと同じに見えた。
「問題ない。心配をかけた」
「そうか」
では、花梨も今日は外出するだろう。
イサトは嬉しそうに笑って、花梨のほうに視線を戻す。
「それで、今日はどうするんだ? 出かけるなら、オレも一緒に行くぜ」
「うん。じゃあ、イサトくんと泰継さんにお願いしようかな」
花梨の答えに、イサトは目を見開いて泰継を見た。
「お前、昨日ぶっ倒れたっていうのに、怨霊と戦うつもりなのかよっ!?」
驚いて叫ぶイサトに、「騒々しい」と言わんばかりに顔を顰め、泰継が答える。
「『問題ない』、と言ったはずだが」
「……そうか。なら、いい」
泰継の顔から視線を逸らせて、ぼそりとイサトが呟いた。
二人の遣り取りを聞いていた花梨は、くすくすと小さく笑った。
「今日は、土地の五行の力を上げたいんだけど」
「じゃあ、どこへ行くんだ?」
花梨の言葉に、イサトが訊ねる。
「ええと……。火属性のイサトくんがいるから、先にこの前封印できなかった北山の怨霊を封印したいんだけど……いいですか、泰継さん?」
「無論」
自分の身体を気遣って訊ねる花梨に、泰継は即答した。それを聞いて、花梨は笑顔に戻った。
「それから、土属性の泰継さんがいるから、船岡山と羅城門跡で具現化をしたいの」
「わかった。じゃあ早く行こうぜ」
イサトが二人を促した。
彼は知らなかった。
この三つの場所は、いずれも泰継の好きな場所だということを――。




花梨の部屋を後にして、三人は簀子の上を歩いて行く。
イサトは、歩きながら、自分の少し前を歩く花梨と泰継に目を遣った。
花梨が笑顔で泰継に何か話し掛けている。その満面の笑みを見て、イサトは嬉しいと感じると同時に、若干の胸の痛みを感じていた。

(まあ、花梨が笑顔でいられるのならいいか)

そう思いながら、イサトは口元を綻ばせた。
ふと、花梨の隣を歩く泰継の横顔を見て、イサトは驚いて思わず足を止めた。

――泰継が笑っている。

(あいつ、あんな表情もできるんじゃないか)

今まで自分も、そして他の八葉たちも、恐らく見たことがないであろう彼の笑顔。
優しく微笑みかけながら花梨に何か答えている泰継と、幸せそうな笑顔で彼を見つめている花梨は、似合いの恋人同士に見えた。
二人は、自分たちの後方を歩くイサトのことなど、すっかり忘れているかのようだ。

(昨日勝真が言ってたのは、このことか?)

今日一日、あの幸せそうな二人と共に行動しなくてはならないのか……。

(……なんか、お邪魔虫みたいじゃないか? オレ……)

イサトは深い溜息を吐いた。


花梨が突然立ち止まり、後ろを振り向いた。彼女の視線を追うように、泰継も足を止めて後ろを振り返る。

「イサトくん、早く!」

手招きしながら笑顔で自分を呼ぶ花梨に、イサトは苦笑混じりの笑顔を返した。

「今、行く」

イサトは、前を行く二人に向かって歩き出した。





庭に積もった雪に、今朝も太陽の光が柔らかく反射して、三人を包み込むように、きらきらと輝いていた。







〜了〜


あ と が き
『八葉花伝』の泰継さんのページに、「目覚めの3ヶ月間は、睡眠だけでなく食事も取らない」という内容の事が書かれてあるのを読んで、「じゃあ泰継さんが人になって初めて食事した時ってどんな感じかなあ」と考えたのがきっかけでできたお話です。
タイトルからお分かりの通り、これも最初はギャグでした。(「物忌みのお相手は」がギャグにならなかったので、リベンジとばかりに。どうしても泰継さんでギャグがやりたいらしい自分(笑))
ところが、いざ書き始めてみると、何とも重々しい展開になっていくではありませんか! どうもうちの花梨ちゃんは、非常に心配性な子のようです。泰継さんは泰継さんで、ちっともカッコよくないし……。
でも、うちの泰継さんはかなり天然な人のようなので、絶対人になっても食事してなかっただろうと思います。なので、こういう事件が起きても不思議じゃないかなあと(笑)。
今回は、勝真さんとイサトくんの乳兄弟コンビにも出演して頂きました。この二人、好きなので。
今後は、他の八葉にも登場してもらいたいですね。

【追記:2004.1.6】
この創作のイメージイラストを芙龍紫月様が描いて下さいました。こちらからどうぞ。
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