願い−3−
二人並んで野宮への道を歩く。

「泰継さんは、どうして野宮に来たの?」
ふと思い出したように花梨が訊ねた。まさか彼が此処にいるとは思ってもみなかったので、さっきは非常に驚いたのだ。今朝別れる時、「今日は休んで下さいね」と言った花梨の言葉に彼は頷いていたので、てっきりあのまま安倍家に帰ったものと思っていたから。
「私は……」
花梨の問いに答えようと口を開いた泰継は、ある可能性に思い至って目を見開いた。

(もしや、私も誓願のために野宮に来たのだろうか?)

自らの想いを制御できず、日増しに大きくなっていく願いを持て余し、はけ口を求めて此処に足を運んだのだろうか?

(そう…だったのかもしれない……)

言い止したまま考え事に沈んでしまったらしい泰継の横顔を、花梨は訝しげに見つめた。その時泰継が浮かべていたのが、明らかに驚きの表情だったからだ。花梨は泰継の考え事の邪魔をしないよう、彼が口を開くまで黙って見守ることにした。
気配や視線に敏感な泰継にしては珍しく、花梨の視線を全く感じていないかのように、前を見据えたまま何事かを考え込んでいる。端整な横顔に浮かんでいた表情は、すでに消されていた。
それを確認した花梨は、視線を前方に戻した。その先にはもう、野宮の黒木の鳥居が見えて来ている。
やがて泰継が口を開いた。
「私は、気を整えるために、此処に来たつもりだった」
花梨の歩く速度に合わせ、ゆっくりと足を運びながら泰継が言う。
「五行相生では、土の気を生むのは火の気だからな」
泰継の言葉に花梨が頷く。五行相生については、以前泰継から教えられたことがあったのだ。彼は土属性の八葉だから、火属性の野宮の地は都合が良いということだろう。
「だが……」
泰継は再び言葉を切った。花梨が見つめているのを感じ、彼女のほうに目を遣った。
緑色の大きな瞳には、自分の姿が映し出されている。作り物であるこの器が……。
泰継は一度前方に目を遣った後、その場に立ち止まった。一瞬遅れて花梨も歩みを止める。
「だが、もしかしたら私も、誓願のために此処に来たのかも知れぬ」
その言葉に驚き、花梨は泰継の顔をまじまじと見つめた。
花梨の驚きの表情に泰継は内心苦笑する。彼女が驚くのも無理はない。泰継自身、自分の内にこのような願いがあるなど思ってもみなかったのだから。
「さあ。此処からは一人で行け」
そう促す泰継に、花梨は躊躇った。なぜなら、彼も誓願のために来たのだと聞いてしまったからだ。
「泰継さんは?」
「私は此処で待っている。それとも、お前の願いとやらを私に聞かせたいのか?」
微笑みながらそう言う泰継に、花梨は言葉に詰まった。確かに彼が傍にいてはあの願いを口にする事など出来ない。
「じゃあ、先に行って来ます……」
交代で行けばいいかと納得し、花梨は鳥居に向かって駆け出した。
「神子!」
「え?」
突然泰継に呼び止められ、花梨は立ち止まって彼のほうを振り返った。
「何ですか?」
「……いや……。走る必要はない。ゆっくり祈ってくればいい」
何かを言おうとして言うのを止めてしまったことが、いつもの彼らしくないなと思いながらも、花梨は頷き、再び鳥居へと向かう。
その後姿を、泰継はその場からじっと見つめていた。



鳥居の前に立った花梨は、一度後ろを振り返った。泰継は先程の場所に立ち止まったまま、じっと花梨を見守っている。その姿勢の良い立ち姿に見惚れていた花梨は、早く済ませないとと思い直し、再び鳥居のほうに向き直った。
一度だけ深呼吸すると、怨霊との戦闘の際、八葉たちに五行の力を送る時にするのと同じように、祈るように胸の前で両手を組み、目を閉じる。

「私は、元の世界に帰るより、好きな人の傍にいたいの」

目に見えない誰かに語り掛けるように、花梨は自らの願いを言葉にした。

「どうか、泰継さんとずっと一緒にいられますように……」

その願いを口にした瞬間、花梨の顔は真っ赤に染まった。言い終えた後、誰もいないことが分かっているのに、思わず辺りを見回し、誰も聞いていないことを確認してしまう。

(これで、いいんだよね?)

花梨は微笑んだ。気休めかもしれないけれど、この願いが清められて守られれば、いつか叶う時が来るかもしれない。
――そう、信じたいと思う。


「泰継さん!」
誓願を終え、泰継の元に走り寄りながら声を掛ける。
泰継は元の場所に立ったまま、じっと近付いて来る花梨を待っていた。
「気が済んだか?」
自分の傍に走り寄り、弾む息を整えている花梨に泰継が問い掛ける。
「はい!」
息を整えながら答えた花梨は、泰継の顔を見て目を瞠った。
その時彼が浮かべていた微笑みが、花梨が今まで見たことがなかったくらい優しい微笑みだったからだ。
花梨は思わずその美しい微笑みに見惚れてしまっていた。

「お前の願いは、必ず叶うだろう……。そう、信じていて良い」

泰継の言葉に花梨は我に返った。彼の言葉が嬉しい。泰継の微笑みにつられるように花梨も笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
「礼を言う必要はない。気が済んだのなら、館に帰るぞ。紫姫が心配していよう」
その言葉に花梨が驚く。
「でも! 泰継さんも願いがあって此処に来たんでしょう?」
「私は構わぬ」
言いながら、花梨の肩に向って手を差し出した。白い小鳥の姿をした式神が、主の指に飛び移る。
「行け!」
泰継は式神を空に放った。
神子の無事を紫姫に伝えるため、式神は再び左京四条にある紫姫の館へと飛び去って行った。
それを確認した泰継は、自分を見つめたまま呆然としている花梨のほうに向き直った。
「さあ、帰るぞ」
そう言いながら左手を差し出す泰継に、花梨が目を丸くする。彼が手を差し出した意味を悟り、花梨は狼狽えた。
(これって、手を繋いで帰るってことよね? 嬉しいけど恥ずかしいよ〜〜)
「どうした? 早くしろ」
顔を赤らめたまま硬直してしまった花梨を泰継が急かす。泰継が僅かに眉を顰めたのを見て、花梨は慌てて右手を彼のほうに差し出した。その手はすぐに泰継の手に包まれた。男にしては線が細い泰継の手だが、花梨の手を包み込む大きな手はやはり男の手である。花梨は益々頬を赤くした。
「神子は、目が離せぬからな」
花梨の手を引きながら歩き始めた泰継が呟く。
「え〜? どういう意味ですかぁ?」
「言葉通りの意味だが?」
口を尖らしながら抗議する花梨に、至って落ち着いた声が応える。こういう時は、彼の冷静さが恨めしく思われる。
「そ、それを言うなら、泰継さんだって同じですよ! 今朝、『今日はゆっくり休む』って約束したのに……」
「余計な仕事を増やしたのは、神子のほうだぞ」
ちろりと横目で花梨のほうを見ながら、泰継が言った。事実であるだけに、花梨は言い返すことが出来なかった。無言のまま、恨めしげに泰継を見上げた。
泰継はすでに前を向いていた。しかし、その横顔に微かに笑みが浮かんでいることに花梨は気が付いた。思わず花梨も笑みを浮かべる。
物忌みの日以外で、こうして泰継と二人きりで行動するのは随分と久しぶりの事だ。

(今だけ、「龍神の神子」じゃなく「高倉花梨」でいてもいいよね?)

ふふふと小さく笑い、花梨は重ね合わせた手に少しだけ力を込め、泰継の手を握り締めた。





◇ ◇ ◇





その夜―――


花梨は自室で白い小鳥と戯れていた。

館に帰った後、花梨の無事な姿を見て緊張の糸が緩んだのか泣き出してしまった紫姫に、縋り付くように抱き付かれた。泣きじゃくる紫姫を何とか宥めることに成功した花梨は、二度と黙って抜け出したりしないと泰継と紫姫に約束させられ、帰ってからはずっと部屋で謹慎中である。

『式神は、陰陽師の目となり耳となるもの。私の代わりに置いて行く故、今日は大人しくしている事だな』

帰り際に泰継がこの式神を置いて行ったのは、信用されていないという事だろうか。

(でも、今日は泰継さんと二人きりで過ごせたから、良かった……)

文机に凭れるように上体を伏せた格好で、花梨はちょうど目の前に止まっていた式神の嘴を人差し指で突つきながら微笑んだ。
帰り道、ずっと手を繋いで歩いたことを思い出すと、今でも頬が紅潮する。泰継の手は一見女性のように色白で繊細だが、やはり男らしく大きかった。そして、温かかった。

「泰継さんは、今何をしているのかな?」

部屋には自分と泰継が置いて行った式神しかいないので、つい式神に話し掛けてしまう。

夜、一人になってから考えるのは、いつも想い人の事――。
京に来た頃は、向こうの世界の家族や友人の事を考えていたのに……。
恋とは、不思議なものだと改めて思う。

(あっ、いけない。この子に話した事は全部泰継さんに通じちゃうんだっけ……)

「式神は陰陽師の目となり耳となる」と泰継が言っていたから、うっかりこの式神を泰継を想うよすがにしてしまったら、すべて彼の耳に入ってしまう。
そう考えた花梨は、不意にある事を思い出し、式神の嘴を突つくように動かしていた人差し指の動きを止めた。大きく目を見開き、文机に伏せるように凭せ掛けていた上体を起こして座り直す。

あの時――…

野宮で誓願を終えて泰継の元に戻った時、紫姫への使いとするため泰継がこの式神を呼び寄せたのは、自分の肩からだったのではなかったか。

(そう言えば、野宮の手前で泰継さんに見つかった時から、この式神さん、ずっと私の肩に止まっていたような……)

花梨は硬直した。

「えっ、えええぇ〜〜〜っ!!?」

花梨の大声に驚いたらしい式神が、文机から傍の几帳の手の上に飛び移った。

「もしかして、全部泰継さんに筒抜けだったのぉ〜っ!?」

かぁっと顔が一瞬にして真っ赤になった。鼓動が耳元で鳴っているかのように激しく打っているのが聞こえる。


『私は、元の世界に帰るより、好きな人の傍にいたいの』

『どうか、泰継さんとずっと一緒にいられますように……』


あれらの言葉は、すべて彼に聞かれていたということなのか……。

「嘘〜〜っ!!」

花梨は真っ赤になった頬を包み込むように、両手を添えた。掌から伝わってくる熱が、自分の顔が今どれ程火照っているのかを物語っている。
明日、一体どんな顔をして彼に会えばいいのだろう……。

(ひっ、酷いよ、泰継さんっ!)

恨み言を言ってみたくとも、本人はすでにこの屋敷にはいない。いっその事、この式神を通して言ってやろうかと考えた花梨は、ふと、あの時泰継が見せた微笑みを思い出した。
花梨以外の者の前では殆ど微笑みを見せない泰継だが、彼の微笑みを最もよく見ている花梨でさえ、あの時泰継が浮かべていた優しい笑みは、今まで見たことがなかったものだった。

そして――…


『お前の願いは、必ず叶うだろう……。そう、信じていて良い』


泰継は確かにそう言った。
あの時は、野宮という誓願の地で祈願したから彼がそう言ったのだと思っていたけれど……。
自分が口にした願いが泰継の耳に届いていたのであれば、彼の言葉が意味することは――…。

花梨は頬に添えていた手を離し、胸に当てた。先程まで羞恥に激しく鼓動を打っていた胸は、今は期待に高鳴っている。

今日、彼が何を願って野宮に行ったのか、聞くことが出来なかったけれど……。
もしかしたら――…。

――もしかしたら、彼もまた、同じ願いを抱いていたのかもしれない。


そう思うと嬉しさに目頭が熱くなり、瞳が潤んでいくのを感じた。胸の内に、何か暖かいものが降りて来るようだ。
蕾がゆっくりと開花していくように、花梨の顔に笑みが広がっていく。


(ずっと、貴方の傍にいていいの? 泰継さんも、私と一緒にいたいって思ってくれているの?)


花梨は几帳に止まっていた泰継の式神に手を差し出した。小首を傾げるような仕草を見せた後、式神は差し出された指に飛び移った。
花梨はその手を目の高さに上げて、式神に語り掛けた。


「信じていていいの? 泰継さん……」


泰継からの返答はなかった。
しかし、花梨は今までにないくらい、幸せを感じていた。








同時刻――…。


左京一条にある安倍本家の離れで、泰継は書物を繰っていた。
彼が読んでいたのは、泰明が残した書き付けだった。
すでに数え切れない程読み返しているため、内容は一字一句頭の中に入っている。
それにも拘わらず泰継が再びこの書き付けを開いたのは、どうしても知りたい事があったからだ。

何故、泰明は人となることが出来たのか――。

その事については、この書き付けには何も書かれていないことは分かっている。しかしそれでも、たとえ僅かでもそれを知る手助けとなる事が書かれていないか、もう一度確かめずにはいられなかったのだ。
恐らく真実を知っているのは、今となっては北山の天狗だけだろう。だがあの者は、泰明の事は何も語ってはくれない。特に、泰明が人となれた理由については。

泰継は一心に書き付けを読み返した。
以前は淡々と事実のみを書き記しているだけと思っていたが、今読んでみると、これを書いた時の泰明の心情が何となく分かるような気がするのだ。書き付けの最初の方と終わりの方とでは、明らかに彼の心情に変化があったであろうことも、今の泰継には分かる。

彼が人となったのは、神子を守るためだったのだろうと、ずっとそう考えてきた。
龍神の神子を守るという、八葉の任を果たすためだったのだろうと――。
だが、今ではそうではなかったのだと確信するようになった。

恐らく、泰明も、彼の神子を愛したのだろう。
そして、愛する者の傍に在り続けるために、人となったのだろう。
人でなければ、いつ消えてしまうか判らないから……。

だから、私も――…


人になりたい――…。


神子のために人となった泰明のように。

すでに力の消失が始まっている私には、どれだけの時間が残されているのかは判らない。
不完全な私に、果たして泰明と同じ奇跡が起きるかどうかも判らない。

それでも、もし叶うものならば……。

――そう願わずにはいられなかった。



不意に、泰継は書物を捲っていた手を止め、顔を上げた。
神子の声が聞こえたのだ。
今日、館を抜け出した神子を送り届けた際、監視のため神子の元に式神を残して来た。
その式神を通して、神子の気が大きく乱れたのを感じ取る。

――どうやら神子に知られたらしい。彼女の願いを聞いてしまったことを……。

泰継は我知らず口元に笑みを浮かべていた。


本当は、彼女の願いを盗み聞きする気などなかった。
だからあの時、式神を肩に乗せたまま鳥居に向かって駆けて行く神子を呼び止めたのだ。
式神を自分の元に戻すために。
しかし、何故か出来なかった。
神子の願いを知らないと、それを叶える手助けが出来ないと思ったということもあったのだが……。

(やはり、私は神子の願いを知りたいと思っていたのだろう)

泰継は目を閉じた。


『泰継さんとずっと一緒にいられますように……』


彼女の願いを聞いた時、聞き間違いだと思った。
こんな都合の良い事など、あり得ないと……。
夢ではないかと思ったのだ。
人ではない私には、夢を見る事など出来ないというのに。


神子が私と同じ願いを抱いてくれているのなら……。


神子と共に在るために、人となりたい――…。


神子の願いを叶えるために。
そして、自分自身の願いを叶えるために――…。

あの緑色の瞳に映るのが、常に私一人であるように。
そして、それが人となった私であるように。



泰継は閉じていた目を開いた。
さっきまで乱れていた神子の気が落ち着いたことが感じられる。
穏やかで、そして暖かい気だ。

優しく温かな存在――…。
ずっと傍にいて、彼女を、守りたいと思う。


そう思った時、泰継の耳に再び神子の声が届いた。

『おやすみなさい、泰継さん』

泰継の顔に、微笑みが零れる。


「ゆっくり休め……」



神子の眠りが安らかなものであるよう、泰継は祈るように呟いた。







〜了〜


あ と が き
泰継さんの大切な恋第一段階を二度目に見た時考えた話が元になって出来たお話です。
当初は和泉版「継花お互いの気持ちを知るノ巻」でしたので、こんなに長い話ではありませんでした。それが時間を三章の終盤に設定したせいか、泰継さんが勝手にぐるぐると悩んでくれまして、なんだか終わってみると「泰継さんは何故人になりたいと思うようになったのか」という話になっていますね。まるで某妖怪人間のように「人になりたい」と何度も言ってますし(笑)。そして式神を使って、現代なら犯罪になるようなこともしていたり…(のぞきとか盗聴とか…)。
私は泰継さんの大切な恋イベントが一番好きなのですが、大切な恋イベントを見るたび、毎回思うことがありました。第三段階の泰継さんの台詞を聞いていると、私には何だか恋愛というより、まだ八葉の役目として言っているような気がしてならなかったのです。彼の場合、八葉の役目は長年探し求めた末に得られた自らの存在意義なので、他の八葉に比べて八葉の務めを果たすことに重きを置いていたのではないかと思うので。その気持ちのまま第四段階を見ると、どうしても泰継さんが突然花梨ちゃんへの想いを自覚したような気がしてしまって…。何となくそれが気になって仕方がなかったので、第三段階と第四段階の間に起きた出来事を、自分で捏造してしまいました(笑)。
しかし、お互いの気持ちを知って幸福の絶頂にある二人、この後あの火之御子社のイベントを迎えることになるのですよね。まるで鬼のような設定(笑)。ゲームの恋愛イベントを創作の題材にするのは難しいので(台詞をそのまま使うわけにもいかないし)、恐らく私が第四段階のイベントを描いた創作を書く事はないだろうと思います。でも私の頭の中では、うちの花梨ちゃんは多分火之御子社で泰継さんに「京に残りたい」と告白しているのではないかなあ、というイメージはあります。泰継さんは「すべてが終わった時に、私から」とか言って、EDで現代行きを希望しそう…。言動が読み易いですね、うちの継×花は(笑)。
読んで下さった皆様、ありがとうございました!

【追記:2005.6.28】
この創作のイメージイラストを芙龍紫月様が描いて下さいました。こちらからどうぞ。
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