物忌みのお相手は
「ええっ!? 翡翠さん、掴まらないの!?」

とうに夕日も沈み、夜の闇に閉ざされつつある刻限―――
花梨の叫び声が静かな邸内に響き渡った。



明日は花梨の物忌みの日にあたる。
花梨の物忌みの日には、龍神の神子を守護すべく、八葉の一人が傍に控えることとなっている。
今回はその役目を地の白虎である翡翠に頼もうと、慣れない筆と格闘して、ようやくしたためた文を紫姫に託したのである。先日入手した銀色の紙に女郎花を添えて。
しかし……。

「申し訳ございません、神子様。先日まで翡翠殿が身を寄せていらっしゃった宇治のお知り合いのお邸に使いを遣ったのですが、どうやら別の場所に移られたようなのです。その方も、翡翠殿が今何処にいらっしゃるのかは伺っていないらしくて……」
届けることができなかった花梨の文を手に、本当に申し訳なさそうに紫姫が頭を下げた。悄然と俯いた紫姫の様子に、手にした文に添えられた女郎花の花までもが、心なしか萎れて見える。
それを見た花梨は、慌てて首を横に振った。
「ううん。紫姫のせいじゃないよ。翡翠さんって、神出鬼没だもの」

翡翠は伊予の海賊の頭であり、この京に住居を持たない。言わば住所不定の身の上である。八葉の役目を果たすまでの間は、京に居る知人の屋敷を転々としているらしい。
それでも今までは、翡翠に用がある時は連絡が取れていた。翡翠自身が、滞在場所が変わるたびに、逐一報告していたからであるが。

――きっと今回は、話す機会がなくて忘れていたのだろう。

花梨がそう話すと、紫姫も「そうですわね」とようやく顔を上げた。

「では神子様、泰継殿にお願いなさいますか?泰継殿でしたら、まだこちらにいらっしゃるはずですわ」
「えっ、泰継さん、もう帰ったんじゃなかったの?」
花梨は驚いて言った。北の札の行方をつきとめるため、今日の散策は泉水と泰継と共に出た。花梨をこの邸に送り届けた後、二人とも帰ったものと思っていたのだ。
「いいえ。……実は神子様たちが外出なさっている間に、あちらの対屋で穢れが出てしまって。泰継殿にお話しましたら、祓いと清めを行って下さるとのことでしたの」
お疲れのところ申し訳なかったのですが――紫姫はそう言って花梨の言葉を待つ。

「泰継さんに? でも……」

紫姫の提案に、花梨は逡巡した。

(でも……)

――泰継さんにあまり迷惑をかけたくないし……。

その想いを花梨は口にしなかった。




安倍泰継は、花梨が京に来て最初に出逢った八葉だった。
最初のうちは、その滅多に動かない表情と歯に衣着せぬ物言いに、ずいぶんと戸惑ったものだ。
しかし、親しくなるにつれて、ごく稀にではあるが笑顔も見せてくれるようになったし、本当は実に優しい人物であることも分かった。何よりも、いつも花梨のことを全力で守ってくれる。
いつしか、花梨は泰継に惹かれるようになっていた。
彼から「自分は人ではない」と告白された後も、その気持ちは変わらない。
京にいる間、一緒にいられる間に、少しでも長く彼と共にいたい……。
そう思うようになった花梨は、泰継を散策の供に指名することが多くなった。物忌みに至っては、今まで他の八葉を呼んだことがなかったくらいだ。
だが、泰継のほうはどう思っているのだろう? 呼べばいつも来てくれる。でも毎回となると、迷惑ではないのだろうか。このところずっと休み無しだから、疲れもするだろう。
実際ここ何日か、花梨には泰継の顔色があまり良くないように思われてならなかった。

(明日は一日お休みしてもらって、身体を休めてもらおう)

そう考えて、花梨は明日の物忌みの付き添いを、泰継以外の八葉に頼むことにしたのだ。

では誰に来てもらおうか―――

官位を持つ八葉たちは、明日は宮中行事のためにこちらには来られないと、紫姫から聞いた。東宮である彰紋は言わずもがなである。この時点で選択肢は半分に減った。
残りの半分のうち、頼忠は武士団の棟梁の急用で呼び出され、申し訳なさそうに詫びながら、「明日の夜の警護までには戻ります」と言い残し、先刻出て行った。戻るのが明日の夜では、物忌みの付き添いはできない。
イサトも明日は来られないと連絡を寄越している。世話になっている寺院の手伝いに駆り出されたらしい。

その結果、翡翠か泰継かという選択肢しかなく、花梨は翡翠に文を送ることにしたのだった。




「神子様? どうかなさいましたか?」
俯いたまま黙り込んでしまった花梨に、紫姫が心配そうに声を掛けた。
紫姫は、今まで花梨が常に泰継に物忌みの付き添いを頼んでいたことを知っている。その理由はもちろんのこと、明日の物忌みの付き添いを他の八葉に任せようとした花梨の気持ちも、分かっているつもりだ。
しかし、それでも、泰継に来てもらえばよいのに――と紫姫は思ってしまう。
泰継といる時の、花梨の笑顔を知っているから……。

「あっ、ごめん。何でもないの」
心配そうに自分を見つめている紫姫に、花梨はわざと明るい表情と声音を作った。
「じゃあ、明日は一人で過ごすから。翡翠さんに連絡がつかないんじゃ、仕方ないものね」
「神子様、でも……」
紫姫がさらに何か言いかけた時―――



「翡翠に文を送るのか?」
突然掛けられた静かな声に振り返ると、いつからいたのか部屋の入り口に泰継が立っている。
「やっ、泰継さん!」
たった今、心の中で想っていた人物の登場に、花梨の鼓動は一気に速くなった。
「泰継殿、お疲れのところ申し訳ございませんでした」
驚きを隠せない花梨とは対照的に、紫姫は落ち着いて労いの言葉を掛ける。
「問題ない。穢れの清めはもう終わった。穢れが神子に及んでは大事ゆえ、こちらの対も清めておいた」
答えながら、泰継は部屋の中に入ってきた。いつもと変わらぬ姿勢の良い立ち姿。その美しい面には読み取れる表情はない。
花梨は泰継のほうを見ることができず、俯いた。

(どうしよう。今の話聞かれたかな。泰継さんを呼ぶの、嫌がってると思われちゃったんじゃ……)

もし、「泰継殿にお願いしては」との紫姫の提案を、やんわりと却下した自分の言葉を聞かれていたのであれば、誤解されても仕方がない。
今の花梨にとっては、どんな怨霊と戦うよりも、泰継に嫌われることのほうが――怖い。

恐る恐る顔を上げて泰継のほうを窺ってみると、ちょうど紫姫から花梨に移った泰継の視線にぶつかった。
琥珀と翡翠の色違いの双眸が、花梨の心を見通すかのように、こちらに向けられている。

(――…綺麗……)

一瞬前まで泰継を不快にさせたのではと不安に駆られていたことも忘れ、花梨はその澄んだ瞳から目を逸らすことができなくなった。
思えば、泰継と初めて会った時、初めてこの異色の双眸に魅せられた時に、自分の内にこの想いは芽生えていたのかもしれない。


すっと泰継の視線が花梨から離れ、再び紫姫のほうに戻った。
無言のまま外された視線に、花梨は再び不安の渦の中に引き戻された。

(やっぱり聞かれてたのかな?)

そう思うと、自然と鼓動が速くなる。

一方、紫姫に視線を戻した泰継は、紫姫が手に持ったままになっている文に一瞬だけ目を遣った後、おもむろに口を開いた。
「その文をよこせ。式に、翡翠の元まで届けさせよう」
「ですが……」
「翡翠の居場所ならば、式に気を探らせるゆえ、問題ない」
「……では、お願いいたします」

紫姫から翡翠宛ての文を受け取ると、泰継は懐から紙片を取り出した。小さく呪を唱えると、それは一羽の梟に変化した。
花梨と紫姫は、その様子を言葉も無く見つめていた。泰継が式神を使うところを見るのは初めてではないが、何度見ても見惚れてしまう。まるで手品のようだ。
泰継が左手を差し出すと、梟はまるでお気に入りの枝に止まるかのようにそこに落ち着いて、真っ白な翼を僅かに震わせた。
一幅の絵のような光景に、花梨の目は釘付けとなった。


不意に、何かの気配を感じ取ったかのように、泰継の視線が妻戸に向けられた。
それにつられるように、花梨と紫姫もまたそちらに目を遣る。
やって来たのは一人の女房だった。女房は、簀子から紫姫に用件を伝えた。どうやら尼君が紫姫を呼んでいるらしい。
「分かりました。すぐに参ります」
女房にそう言って、紫姫は花梨と泰継のほうを向いた。
「それでは神子様、御前失礼いたしますわね。泰継殿、あとはよろしくお願いいたします」
「わかった」
「おやすみなさい、紫姫」
花梨と泰継に頭を下げて、紫姫は女房とともに部屋を出て行った。衣擦れの音が遠ざかっていく。


「…………」
紫姫を見送った後、気まずい沈黙の中、花梨は再び泰継のほうを見た。
手首の辺りに止まらせた梟のほうに向けたその横顔には、相変わらず何の表情も浮かんではいない。
先程視線を逸らせてから、泰継が自分のほうを見ようとしないことに、花梨は気付いていた。
やはり、怒らせてしまったのだろうか。

(誤解だよ、泰継さん!)

花梨の心の叫びに気付いているのかいないのか―――
花梨の視線の先にいる泰継は、こちらを振り返らずに簀子のほうに歩いていく。純白の梟の姿をした式神に文を咥えさせると、小声で何事か呟き、それを空に放った。
漆色に染まった京の夜空に白い軌跡を残しながら、式神は翡翠の居場所を求めて飛び立っていった。



式神が残した軌跡を目で追いながら、泰継は自分の考えに沈んでいた。
さっき、思いがけず聞いてしまった神子の言葉が、耳に付いて離れない。


『泰継さんに? でも……』

『じゃあ、明日は一人で過ごすから。翡翠さんに連絡がつかないんじゃ、仕方ないものね』


――…神子は私を呼ぶことを避けている……。


ズキリ、と胸が痛んだ。



「あ、あの……泰継さん?」
式神の姿が見えなくなった後も、背を向けたままこちらを振り返ろうとしない泰継に、花梨は不安げに声を掛けた。
「…………」
泰継は式神が飛び去っていった方角に視線を向けたまま、一言も発しない。その沈黙が、さらに花梨の不安を煽った。

(こっち向いてよ、泰継さん……)

花梨が口を開こうとした時―――

「……すまない、神子……」

微かに衣擦れの音をたてて俯いた泰継が、ぽつりと呟いた。




「えっ?」
一瞬、聞き間違えたのかと思い、花梨はぱちぱちと瞬きを繰り返した。
彼は今、確かに「すまない」と言った。
なぜ――?

「どうして、泰継さんが謝るんですか?」
ゆっくりと泰継に近づき、数歩の距離をおいて立ち止まる。
彼の背中が自分を拒絶しているように思えて、花梨はそれ以上近づけなかった。
泰継は簀子に立ち尽くしたまま動かない。花梨の質問に、背を向けたまま答える。
「神子を守ることが私の存在意義であるのに……。私では神子を守ることができぬのだな」
怨霊と対峙した時、いつも自分を庇ってくれる頼もしい背中が、今は道に迷った幼子のように小さく見えた。
「どうしてそんな事……! 泰継さんはいつも私を守ってくれているじゃないですか。怨霊と戦う時も、物忌みの時だって!」
泰継は相変わらず背を向けたままだったが、やがて肩越しに視線だけ花梨のほうに向けた。
先程まで無表情だった美貌に、今ははっきりと苦しげな表情が浮かんでいる。
それを見て、花梨は驚いた。
どうやら怒らせてしまった訳ではないらしいことに安堵する。
しかし……

(そんな苦しそうな顔しないで)

自分が痛みを感じたかのように、花梨は胸の上を手で掴んだ。


「今までの物忌みには、神子はいつも私を呼んだ。だが、明日は翡翠を呼ぶと言う。私が傍にいても、お前を守ることができぬということなのだろう?」
泰継は、ゆっくりと庭に視線を戻しながら呟いた。
「私は……本当にお前の役に立たぬ、無能な八葉だ……」
「泰継さん……」
花梨が言いかけた言葉を遮るように、泰継は続けた。
「翡翠なら、神子を守れるのか? ――なぜだろう。胸が、痛い……。お前の役に立てぬのが、苦しい……」

独り言のように紡がれる言葉に、花梨は目を見開いた。
自分の胸が高鳴るのを感じた。

(もしかして泰継さん、翡翠さんに嫉妬してるの? いつも傍にいて、守りたいって思ってくれてる?)

八葉としての務めだから――かもしれない。
でも、もしかしたら……。

(――もしかしたら……)

それは、予感。

気付いたら、足が自然と彼のほうに向かっていた。
一歩、二歩と近づいて……。

次の瞬間、花梨は背後から泰継を抱き締めていた。



「み、神子!?」

突然の花梨の行動に一瞬たじろいだ泰継。
肩越しに背後を窺うと、花梨は自分の背に抱きついたまま目を閉じている。
その口元はなぜか綻んでいて……。
微笑みを浮かべた彼女の顔がなぜか眩しくて、泰継は目を細めた。



(気持ちいい……)

散策から帰ってからも、ずっと屋外で祓いや清めを行っていたせいだろう。
頬に触れた泰継の着物は、ひんやりとしていた。
その感触が心地よくて、花梨は目を閉じた。

(役目もいいけど、身体が冷えちゃうよ。本当に自分のことには無頓着なんだから)

少しでも泰継の身体が温まればいいと思い、花梨は抱き締めた腕の力を少しだけ強めた。
泰継が僅かに身じろぎするのが伝わってきて、自分の様子を窺っているらしいことを感じた。
泰継の動きに合わせて、着物に焚き染めた香の芳しい香りが微かに漂う。

――菊花香。

現代では香になど興味の無かった花梨が、この京に来てまもなく使い始めた香。
その理由をこの人は知っているのだろうか?

(絶対分かってないよね、きっと)

気の乱れや怨霊の気配などには敏いくせに、こういうことにはとことん鈍いのだ、この人は。
そう考えると何だか可笑しくて、花梨は口元を綻ばせた。


しばらくの間花梨の様子を窺っていた泰継は、やがて視線を前に戻し、ゆっくりと目を閉じた。
背中の、柔らかく温かい感触が、心地よいと思った。
触れ合った部分から流れ込んでくる神子の清浄な気に、先程までの胸の痛みが癒されていくのを感じる。
不思議だ……。
彼女は私を恐れない。
今までこんなふうに自分に接した者がいただろうか。

閉じていた目を開いてふと俯くと、自分の腰のあたりに抱きついた花梨の腕がある。
こんなに細い腕で、龍神の神子としての務めを果たそうとしている異世界の少女。
いつからだったろう。
八葉の務めとしてではなく、この少女を守りたいと思う自分がいたのは。

――この気持ちを何と呼ぶのだろうか?

俄かに胸に沸き起こった温かいものに後押しされるように、泰継は花梨の手を軽く握り締めた。


自分の手に泰継の手が重ねられたのを感じ、花梨は驚いた。
腕の力を少し緩めて身体を起こすと、泰継のほうを見た。
泰継はすでに前を向いていて表情は窺えなかったが、先程のような苦しそうな顔はしていないように思える。
花梨はホッと息を吐いた。



「違いますよ、泰継さん」
ゆっくりと身体を離しながら、花梨は言った。
重ねられた手が、名残惜しげに離れていく。
「私は、ただ、泰継さんにお休みを取ってもらいたかったんです。最近、毎日一緒に外出してもらっていたし……。物忌みの日だって、ずっと……。だから……」

泰継は、その言葉に驚いたように、身体ごと花梨のほうを振り返った。
花梨は泰継を見上げていた。
真っ直ぐに自分に向けられた緑色の澄んだ瞳。
その瞳を見つめ返した泰継は、今度は視線を逸らさずに言った。

「……私は、神子の役に立てているだろうか?」
大きく目を見開いた、初めて見る彼の表情が、何だか嬉しい。
「さっきも言いましたけど、泰継さんはいつも私を守ってくれているじゃないですか」
花梨はじっと泰継の色違いの双眸を見つめたまま、微笑んだ。

――そう、彼はいつもいつも、全身全霊をかけて守ってくれる。私のために……。

「だから、たまにはゆっくり身体を休めてほしかったの。……その……」
花梨は口籠って、俯いた。
「……いつも、迷惑、かけてるし……」
最後のほうは消え入るような声で話す。

「休みなど、必要ない。それに、迷惑などではない。神子を守るのは私の務めだ。……いや……」


――いや、違う……。


泰継は、さっき胸の内に沸き起こった温かさを思い出した。
神子の傍にいて彼女を守ることは、今や『務め』などではない――。


「……私の『望み』なのだ……」


花梨は驚きに目を見開き、顔を上げて泰継のほうを見た。
――柔らかく微笑んでいる泰継の顔があった。
頬がうっすらと赤く染まるのが、自分にも分かった。


「だから、いつでも私を呼べ」


花梨は何も言うことができず、瞬きを繰り返してじっと泰継の顔を見つめていたが、やがて笑顔に戻ると、こくりと頷いた。




「では、とりあえず、明日の役目は翡翠に代わって貰うぞ」

泰継のその言葉に、花梨は驚いた。
「でも……。泰継さん、最近顔色が良くなかったようだから、疲れてるんじゃないかって……。大丈夫なんですか?」
心配そうに訊ねる花梨に、泰継は微笑を浮かべた。
「問題ない。神子の傍にいると疲れなど癒される。神子の清浄な気が、すべてのものを癒すのだ」

――先程感じた痛みもすべて……。

泰継は、背中から伝わってきた神子の気を思い出しながら、思う。


(神子に守られているのは我らのほうなのだ)


泰継の微笑に見惚れていた花梨は、その言葉に一瞬遅れて頬を紅潮させた。

「あっ、で、でも、もう式神さんが文を届けに行って……」
慌てたように、今になって気付いた事を口にする。

「式なら、そこにいる」

「へ?」

思わず間の抜けた声を上げた花梨に、泰継は庭を見るよう促した。
花梨が庭を見遣ると、庭木の上に真っ白な梟の姿が見えた。
篝火の明かりも届かない漆黒の闇の中、式神の回りだけがぼうっとした光に包まれているように見える。


「どっ、どうしてっ!?」
驚いて、思わずどもりながら、花梨は声を上げた。
「すまぬ。途中で引き返させてしまった。お前の物忌みに付き添うのは…お前を守るのは常に私でありたいと――そう思ってしまったのだ」
花梨の顔は、ますます赤くなった。


「……だめか?」

不安げに、縋るような表情を浮かべた泰継に我に返った花梨は、慌てて首を横に振った。
泰継の言葉が嬉しくて。そして、いつも冷静な彼が初めて見せた幼子のような表情が愛しくて……。

花梨は笑顔で答えた。

「お願いします!」

花梨の満面の笑みに、泰継の顔にも笑みが広がっていく。


「ありがとう、神子」




しばらく見つめ合った後―――
泰継は、庭木の上に止まっている梟のほうに視線を向け、右手を差し出した。
静寂に包まれた庭にバサバサッという羽音が響いて、先程と同じように、梟はそこに止まった。

かさり、と小さな音を立てて、銀色の文と女郎花の花が簀子の上に落ちた。


そして―――


泰継が短く呪を唱えると、まるで風に舞う桜の花びらのように、一枚の紙片がゆっくりとその上に舞い落ちた。







〜了〜


あ と が き
この作品は『銀の月』様の30000HITのお祝いの品として、神凪涙様に差し上げたものです。
なんと「遙か」創作初書きの代物!(初書きの拙いものを人様に捧げるという、大胆極まりない私(笑))
泰継さんの見返りモードのグラフィックを思い浮かべて、どんな場面だったら泰継さんは見返りモードになるんだろうかと、ふと思いついたシチュエーションに置いてみてできたお話です。
最初の設定では、ギャグだったこの話。どこを間違えたのか、終わってみればとんでもないラブラブな話になっていました。第三章後半の物忌み前日の設定なのですが、第四段階も終わっていないのに、こんなにラブラブでいいんでしょうか(笑)。
涙さん、こんな拙いものを貰って下さってありがとうございました!

★最初はこんな話だったというおまけはこちら
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