身体が軋むような鈍い痛みを覚えて、泰継は閉じていた目を開いた。
右腕を上げると、抱き寄せるように単の上から左肩を押さえて顔を顰める。手の動きに合わせて、パシャリという軽い水音が辺りに響いた。
夕暮れ間近の北山の奥地は静寂に満ち、小さな音でも良く響くのだ。
磨かれた鏡のように凪いでいた水面に水滴が落ち、波紋が広がっていく。
その様子を、泰継は見るとはなしに見ていた。


夕暮れ時になって、泰継は禊をするため、庵近くの泉にやって来た。以前から、安倍家から依頼された仕事に向かう前に、禊を行うためによくこの泉を使っていたが、このような刻限に訪れるようになったのは、ここ数日――神子の物忌みの翌日からだ。
山に棲まう山鳥や動物達が棲み処に帰る刻限をわざわざ選んだのには理由があった。
今は、誰にも会いたくなかったからだ。このような姿を、誰にも見られたくはなかった。
特に、この泉で出会う可能性が高い、あの存在には。
だから、出会う確率の高い夜明け前から申の刻までの時間帯を避けて、此処を訪れたのだが――…。


「帰って来たのか」


背後から掛けられた声に、泰継は小さく嘆息した。
昨日までの三日間、会わずにいられたのは、運が良かっただけなのかもしれない。
最も会いたくなかった者の声に、泰継は後ろを振り向くこともせず、不機嫌そうに答えを返した。

「何の用だ」

――壊れかけた道具に……。

思わずそう付け加えてしまいそうになるほど、この数日で泰継の精神は酷く消耗し、荒んでいた。




花梨の物忌みの翌日以降、泰継は八葉の務めを休み、京の各地を巡って身の内に五行の力を蓄えることに専念した。仮住まいである安倍本家の離れにも帰らず、気の補充が終わると毎日申の刻には北山の庵に戻り、庵近くの泉で水面から立ち上る霊気を浴びながら禊をし、補充した気を整え養うことにも努めた。
しかし、そうした努力も、夜を迎えると全て無に帰した。
夕刻には何とか身の内に留めることが出来たと思われた五行の力は、夜になると気怠さを覚えた身体から次々と抜け落ちて行くのだ。あの花梨の物忌みの日の夜と同じ状態だった。その事実は、最期まで神子を守るために在ろうとする泰継を打ちのめした。
それでも、昨日までの三日間は、一縷の望みに賭けて気の補充と禊を繰り返した。だが、結果は変わらず、泰継の身の内の五行の力は増えるどころか、あの物忌みの夜より明らかに減っていたのだ。

(今の私は、気の補充も儘ならないほど、陰陽の力を扱えなくなっているということか……)

力が抜け落ちて行く速度が速すぎ、補充が追い付かないのだ。その上、完全には治まることのない気の乱れが邪魔をして、陰陽の力を使う際に必要な集中力をも欠いていた。そのため、いつものようには五行の力を補充することが出来なかったのである。
これ以上、力の補充を試みても、恐らく結果は同じだろう。
それを悟り、泰継は生まれて初めて“絶望”という感情を抱いた。
僅かな希望すら失くした後は、もはや何をする気にもなれなかった。
一度は封印することを決意した神子への想いを解き放ち、その想いに殉じるのも良いかもしれない――そんな心持ちにすらなった。
夜になると、全身に纏わり付くような倦怠感が一層酷くなり、身体を起こしておくことすら儘ならなくなった。庵の床に身体を横たえ、ただ神子のことだけを考えた。その想い故に生じる身の内の激しい気の乱れに耐えながら、泰継は北山に帰って三日目の夜を過ごした。
そして四日目を迎えた今朝、既に泰継には京の町を歩き回る気力は残っていなかったのだった。
日が昇り、外が明るくなっても、一晩中気の乱れに翻弄され疲弊した身体から倦怠感が抜け切らず、泰継は床に横になったまま半日近くを過ごした。
このままでは大晦日まで持たないどころか、数日以内に気を使い果たし、消えることになるだろう。
だが、力の補充に失敗した以上、打つ手はもう思い当らなかった。
いや、正確には一つだけ思い当る方法はあった。
――それは、人になることだ。
人になれれば、身の内の陰陽の気に均衡が齎され、安定するはずである。
しかし、泰明ほどの力を持たない自分には、到底無理な話だろう。
第一、その方法が判らないのだ。
泰明が京から姿を消し、晴明も師である吉平も亡くなった今、恐らく泰明が人となれた理由を知っているのは北山の天狗だけだろう。だが、天狗はそれについては一切口を開こうとしない。
力の補充を始めて二日目、糺の森を訪れた際に連理の賢木に訊ねてみたが、賢木も何も語ろうとはしなかった。それどころか、幹に触れた掌から気の乱れが伝わってしまったのか、会話の途中で遮断されてしまったのだ。
しかも、その場面を泉水に目撃されてしまった。近くにいる泉水の気配にも気付けないほど、自分の力は弱くなったのかと愕然とした。
泉水は生来持ち合わせた強い霊力故に、気に敏い男だ。隠そうとしても、その原因までは判らずとも、泰継の不調を容易に感じ取ったに違いない。もっとも、気が優しく控え目な性格であるから、言葉を交わした際も詮索するようなことはなかったのだが。
ただ、その優しい性格故に、心配した泉水を通じて、泰継の不調が神子に伝わった可能性は高いと思われた。

(神子に、告げなければならぬ……)

今、自分が置かれている状況を、神子に説明しなければならない。
そう思うのに、一方では、このように気が乱れ、陰陽の力を行使することも叶わなくなった自分の姿を、神子にだけは見られたくないと思った。
二つの思いが鬩ぎ合い、どちらとも決意できぬまま、四日目が過ぎようとしていた。
夕刻起き上れるようになって、この泉に禊に訪れた時も、まだ迷っていたのだ。ただ、身を清め、少しでも気を整えておかねば神子には会えないと思い、此処にやって来たのである。




いつになく苛立ちを含んだ泰継の声を聞いて、天狗は大方の事情を察した。
現在の泰継と同じ状態だった泰明の姿を、百年前に見たことがあったからだ。
泰継が北山に帰って来たことは、彼が帰った日には既に知っていた。北山で起きた出来事は、山に棲む動物達や木々を通じて、ほぼ全てその日のうちに天狗の耳に入るのである。
しかし、天狗は敢えて今日まで泰継に会うことを避けていたのだ。泰継がそれを望まぬことは判っていたし、天狗も彼が自分自身で解決しようとしている間は手を出すことを控え、彼一人の力ではどうしようもなくなった時にだけ、手を差し伸べようと考えていたからだった。


「泰継。お主、八葉の務めはどうしたのじゃ」

泰継が八葉の務めの途中であるにも拘らず、役目を投げ出して北山に帰って来た理由を察していながら、天狗はわざと知らないふりをして訊ねてみる。
返答を期待した訳ではなかったが、案の定、泰継は無言のままだった。
その背を見つめながら、天狗は重ねて言った。

「まあ、そのような気の乱れを抱えておっては、神子の役には立てないじゃろうがのう」

小さく溜息を吐きながらそう言うと、泰継の肩が僅かに揺れたのが見て取れた。恐らく泰継自身にも自覚があるのだろう。
このように身の内の気の均衡を大きく崩した泰継を見たのは、彼との付き合いが長い天狗も初めてのことだった。
天狗はそれ以上何も言わず、泰継が口を開くのを待つことにした。



「……天狗…」

長い沈黙の後、水面に視線を落とし背を向けたまま、泰継は天狗に声を掛けた。先程見せた苛立ちは、彼の声からは既に消えていた。

「――泰明は、何故、人となれたのだ?」

泰継の問いに、天狗は片眉を上げた。
泰継が口にしたのは、北山で暮らし始めた頃、彼が何度も天狗に問うた質問だった。だが、天狗がその答えを泰継に与えたことはなかった。その答えは、彼自身が見つけなければ意味がないと考えていたからだ。泰継の師であった吉平も天狗と同じ考えだったらしく、彼には何も教えていなかったらしい。
長い間口にすることのなかったその問いを、今、再び口にした泰継の気持ちは、天狗には痛い程判った。泰継にとって泰明と同様に人となることは、八葉の任を果たすための、いや、八葉の務めを終えてもなお神子の傍に在るための、最後の手段であるからだ。
天狗は、泰継が泰明と同じように人になれれば良いと思い、ずっと彼を見守って来た。泰継が人となるのを見ることなく亡くなった晴明と吉平の代わりに、息子同然に泰継を可愛がり、彼の幸せを願って来たのだ。
それでも、天狗はその思いを抑え、これまでの態度を変えることなく泰継に告げた。

「それを知って、どうするのじゃ。泰明は泰明、お主はお主じゃ。――何度も言ったが、その答えはお主自身が見つけねば意味がないのじゃよ」

泰継に、泰明が人となれた理由を教えることは簡単なことだ。何故なら、天狗は泰明の身に起きた変化を具にその目で見たからだ。
しかし、それを泰継に教えたところで何になるだろう。彼自身が自分の力で泰明と同じ答えに辿り着かなくては意味がないのだ。そして、天狗は泰継であれば必ず泰明と同じ答えを見つけることが出来るだろうと信じていた。泰継は、亡き友、晴明の陰の気を、泰明と分け合って生まれた存在なのだから。

「……そうか。では、もう聞かぬ」

静かな声で泰継が言う。
その声音に驚いたように、天狗は目を見開いた。こんなに覇気がない泰継の声を、今まで聞いたことがなかったのだ。
どうやら天狗が思っていた以上に、泰継は参っているようだ。
天狗の知る限り、元来、泰継は泰明より気の影響を受けやすい性質のようではあったが、それは飽く迄も外部から受ける影響であった。今回のように、自分の身の内で生じた気の乱れは経験がないのだろう。
それが、神子への恋情が原因であることを、泰明の例を見たことがある天狗は知っていた。生まれてからずっと、自分には心がないと思い込んでいた泰継は、初めて抱いた感情に戸惑い、振り回され、どのように対処したら良いのか冷静な判断が出来なくなっているのだ。
今、泰継の身に起きているのは、間違いなく彼が人となる予兆だ。
吉平亡き後、泰継の親代わりとして彼を見守って来た天狗としては、彼に起きた変化を嬉しく感じるものの、何も教えられていない本人にしてみれば不安だろう。自分は壊れかけているのだと勘違いしても仕方ない。実際、このまま気の乱れを鎮めることが出来なければ、力の流出は止まらないのだから、強ち勘違いとも言えなかったのだが。
それに、泰継は長い年月を生きて来た所為か、物事を深く考え過ぎる嫌いがある。それ故、天狗は泰継の事が心配でならなかったのだ。考え過ぎるが故に、益々自分自身を追い詰めているように思えて――。
これ以上放置するのは良くないと考えた天狗は、核心的な事には触れず、ただ解決の糸口となる事のみを、泰継に話しておくことに決めた。

「――泰継。明日、神子に会いに行け」

天狗の言葉に、泰継は弾かれたように伏せていた目を見開いた。

「お主、北山に帰ってから神子には会っていないのじゃろう?」

天狗の言う通り、物忌みの日以来、神子とは会っていない。
八葉の務めを果たせぬ今の自分の状態では、神子には会えないと思った。だから、力の補充に専念することにしたのだ。
しかし、力の補充に失敗した今、どうして神子に会えようか。
神子に会い、現状を報告しなければならないことは判っているのだが――…。

泰継はゆっくりとした動作で後ろを振り返った。その動きに合わせ、水面に小さな漣が生じる。
泰継の表情を見た天狗が、驚いた表情を見せた。顔色が酷く悪く、彼と初めて会った時以上に、何の表情も浮かんでいない完全な無表情だったからだ。
泉の水の中から松の木を見上げ、枝に腰掛けている天狗に視線を合わせると、泰継は先程と同じ静かな覇気のない声で言った。

「神子に会ってどうしろと言うのだ。もはや私は道具としての役にも立たなくなったのだと、神子に告げよと?」

その言葉を口にした瞬間、泰継は何故神子に会いに行くことを躊躇っていたのか、その理由に気が付いた。


――怖かったのだ。役に立たぬ道具として、神子に顧みられなくなることが。


天狗から視線を逸らし、顔を伏せた泰継は、再び天狗に背を向けた。

今、自分はどんな表情をしているのだろう。
きっと、情けない表情をしているに違いない。
それを、これ以上天狗に見られたくないと思った。


「泰継……」

泰継の言葉に驚いた天狗が呆然とした様子で呟いた。
天狗もまた気付いたのだ。泰継が、八葉の任を果たせなくなった今、神子に会い、拒絶されることを恐れているのだと。
しかし、その一方で、神子に会いたいと切望している。
――そのように、天狗には感じられた。

「では何故、こんな時間に禊をしているのじゃ。神子に会うためではないのか」

昨日までとは違い、泰継が今日、外出せず庵で一日を過ごしたことを、天狗は知っていた。その理由も、彼の状態を目の当たりにした今、自分の予想通りであったと確認することが出来た。
つまり、気の乱れが引き起こした体調不良で動けなかったということだ。
それなのに、動けるようになってから、泰継は重く鈍る身体を押して、気を整えるため禊をしに此処までやって来たのだ。神子に会うためという以外の理由を、天狗は思い付くことが出来なかった。
八葉に選ばれてからの泰継の行動は、すべて神子を守るための行動だったから、尚更だ。

泰継は背を向けたまま動かない。
再び口を閉ざした泰継だったが、一応天狗の言葉には耳を傾けているらしい。
それを確認し、天狗は告げた。

「――良いか、泰継。八葉の任を果たしたいなら…、いや、神子の傍にいたいのであれば、今回だけは儂の言う事を聞くのじゃ」

それは、既に忠告や助言ではなく、命令であった。
天狗の口調には、いつものような揶揄う調子は一切なく、泰継が初めて聞いた厳しく真剣な声音だった。
天狗が自分の事を誰よりも心配しているのだと判ってはいるが、今の泰継には素直に天狗の言葉を受け入れ、即答することは出来なかった。
しかし、天狗の言う通り、神子に会わない訳にもいかないだろうということも、頭では理解している。
泰継が答えを躊躇っている間に、天狗はもう一度「明日、神子に会いに行け」と告げた後、泰継を泉に残して飛び去った。





独り泉に残された泰継は、水面に視線を落とした。鏡のように凪いだ水面に、自らの姿が映っている。
人々に、「まるで人形のよう」と喩えられる美貌が此方を見つめていた。
顔の美醜は泰継には判らない。だから、真実を知らぬ人々から「人形のように美しい」と称されるたび、泰継は複雑な思いを抱いていた。
泰継は、晴明と天狗が泰明を造った際の記録を基に、吉平と吉昌の手により人型を与えられた。それ故、この顔も、姿も、すべて泰明と同じもの――泰明を複製しただけの模造品に過ぎないのだ。
水鏡に映し出された自らの姿に、ふと泰明を重ねた。

(――泰明……)

八葉の任を経て、人になったと伝えられている泰明。
泰明は、彼の神子のことをどう思っていたのだろうか。花梨と出逢った当初の私がそうだったように、ただ、八葉として守護すべき存在だと思っていただけなのだろうか。
もし、彼が今の私と同じ立場であったら――…。
もし、泰明もまた彼の神子を愛しく思っていたなら、このような葛藤を抱いたのだろうか?
自分自身でも制御出来ぬ程の気の乱れを引き起こし、陰陽の力を行使することが困難となる程に。
いや、私より優れた能力を持つ泰明の事だから、きっとこのような情けない姿を神子の前に晒したりはしなかっただろう。
同じ者の気を分け合い、同じ者の力を受け継ぎ、同じ型を得ていながら、泰明と私は何と違うのだろうか。
泰明であれば、八葉の任半ばにして消えることになるなど、有り得なかっただろうに。

水鏡に映る顔が苦しげに歪む。
泰明に対する嫉妬心が顕著に表れた自分の顔を見ていたくなくて、泰継は手で水面を掻き乱した。バシャンという大きな水音が響き、起きた波が鏡像を崩す。
それには目を向けず、泰継は空を見上げた。
泉の周囲の木々から張り出した枝の間に、赤く染まった空が見えた。
冬の日は短い。間もなく日が暮れ、山は暗闇に包まれるだろう。
泰継は空を見上げた姿勢のまま、目を閉じた。
辺りが闇に包まれる前に庵に戻らねばならないと頭の隅で考えながらも、泰継は暫くの間、その場から動けなかった。


『神子の傍にいたいのであれば、今回だけは儂の言う事を聞くのじゃ』

天狗が言い置いた言葉が耳に蘇る。
天狗がどういう意味でそう言ったのか泰継には判らなかったが、今までにない天狗の真剣な口調から、それは無視出来ない重要な事のように思われた。


(神子に、会わねばならぬ……)


神子に会って、真実を告げなければならない。
私はもはや、役に立たぬ道具だと。
八葉の務めを最後まで果たせず、消える日が間近に迫っているのだと――…。

その時、神子は何と言うのだろうか。
心優しい神子のことだから、泣くかもしれない。
神子の笑顔を曇らせることなどあってはならないと思うのに、神子が私の事を思い涙を見せるのだと考えるだけで嬉しく、甘美な想いすら覚えるのは何故だろうか。


もし、そうはならなくても――。
もし、役に立たぬ道具として神子に顧みられることがなくなったとしても。
最後に残った望みはただ一つ。


――ただ、もう一度だけでもいい。神子に会いたい――…。


自らの願いを確認した泰継は、明朝、他の八葉達が来る前に神子の元を訪れようと決意した。







その頃、泉に泰継を残し自分の棲家に帰った天狗は、泰長からの使いを待っていた。
泰長は今日、神子と面会することを天狗に知らせて来ている。そして、その結果報告を今夜すると言っていたのだ。

泰長からの使いを待ちながら天狗が思うのは、やはり泰継の事だった。
吉平が亡くなり、泰継が北山の庵に居を移してから、既に七十五年の歳月が流れている。
人型を得た泰継と初めて会った時のことを思い出しながら、天狗は改めて「長かった」と思った。
それはもちろん、泰継が生まれてから神子と出逢い、八葉に選ばれ、人となるまでの過程のことである。

今日、泰継に会い、天狗は確信した。
泰継は間もなく人になる、と。
明日、彼が神子に会いに行けば、恐らく――。

天狗は北山の中に独自の情報網を持っている。その中に、北山を塒とし、日中は京の町に下りる鴉の群れがあった。彼らは天狗が泰継の親代わりを自任していることを知っており、神子と共に町を散策する泰継の姿を見かけては、天狗に逐一その様子を報告していたのだ。
鴉達の報告から、神子が泰継に想いを寄せていることは明らかだ。その神子であれば、泰継が人であろうとなかろうと、彼を受け入れてくれるだろう。
神子に会ったことがある訳ではないが、天狗はそう確信している。
それに、今日神子に会い、直接言葉を交わした泰長からも、同様の報告が得られるだろうと信じていた。

長い年月待ち望んだ瞬間がとうとう訪れることを嬉しく思う反面、天狗は嬉しさの中に一抹の淋しさを感じていた。
泰継が泰明と同じ道を辿れば、八葉の務めを終えた後、彼はきっと神子の世界に旅立ってしまうだろう。晴明を始め、泰明、吉昌、そして吉平と、天狗は唯一交流を持ち続けた安倍本家に連なる人々をいつも見送って来た。
――泰継もその中の一人となるだけだ。
そう思うのに、少しだけ淋しい気分になってしまうのは、北山で暮らしていた彼との交流が他の誰とのものよりも長く、近いものだったからだ。

だが、泰継が幸せであれば、それで良い。
晴明も、吉平も、神子の降臨を長い間待ち続けることになるであろう泰継の事を気に掛け、亡くなる前、天狗に「泰継を頼む」と遺言していた。彼らにも、漸く良い報告が出来そうだ。

天狗が無意識に笑みを浮かべた時、夜闇の中に羽音を立てながら一羽の梟が現れた。
泰長の式神だ。

(来たか)

梟が舞い降りて来るのを見つめながら、天狗は泰長が神子の事を何と報告するのか期待に胸を膨らませていた。
きっと、良い報告が聞けると信じて――。







〜了〜


あ と が き
お題「嘘」の続き、花梨ちゃんサイドの「理由」と同日の、北山での泰継さんと天狗さんのお話です。この話のラストシーンが、ちょうど「理由」の第四話に続くような構成になっています。
ゲームの泰継さんは、大切な恋第四段階のイベントの朝、「近いうちに消えるかもしれない」と花梨ちゃんに告げた後、花梨ちゃんに「それはかなり危ないんじゃ…」と言われても、「そうかもしれないな」と他人事のような態度でやたら冷静でしたが、実際に神子への想いを抱いていたなら、自分が消えるという事実をそんな冷静な態度で受け入れられないんじゃないか――そう思って作ったお話でした。
力の補充も出来ず、消えるのを待つしかないと悟り、絶望する泰継さんを救うのは、やはり花梨ちゃん以外にないでしょう。うちの場合、天狗さんと泰長さんと泉水さんが後押ししてくれそうです。
同じ“み”で始まるお題なら、「水」よりコトノハイロイロの「水鏡」の方が相応しいような気がしなくもないですが、難題クリアとしておきます(笑)。
読んで下さった皆様、ありがとうございました!
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