近況報告
「遅れて申し訳ありません」

紫姫の館に一緒にやって来た泉水と彰紋は、部屋に入ると既に揃っていた皆に頭を下げた。



龍神の神子、高倉花梨が元の世界に帰ってから一ヶ月――。
既に八葉としての務めを終え、八葉に選ばれる以前の生活に戻っていた元八葉たちは、幸鷹からの文に久しぶりに紫姫の館に集うこととなった。なんでも、花梨から近況を知らせる文が届いたというのだ。
あの日、神泉苑で別れた後、花梨の世界と京とを繋ぐ時空の扉は再び閉ざされたはずだった。もう二度と彼女と連絡を取る事が出来ないと思っていたところに齎された知らせに、八葉たちは驚きを隠せない。
花梨は、今、元気なのだろうか……。
彼女の近況を知りたいばかりに、皆忙しい仕事の合間に何とか都合をつけて、紫姫の館に集まったのだった。



通い慣れた八葉の控の間として使っていた部屋に泉水と彰紋が到着した時、既に紫姫と深苑、そして神子と共に異世界へと旅立った泰継を除く八葉全員が揃っていた。
「いいえ。お忙しいところ、よくおいでくださいました」
皆を待たせたことを詫びる泉水と彰紋に、紫姫が答えた。東宮である彰紋がなかなか出歩けないことは皆承知している。
「こうして皆様にお会いするのも久しぶりですね」
頼忠に勧められた円座に腰を下ろしながら、泉水が言った。八葉の務めの間に院の息子であることが発覚した泉水であるが、腰の低さは現在も変わらない。
「翡翠殿も、まだ京にいらっしゃったのですね。良かったです」
控の間に伊予の海賊の顔を見つけ、彰紋が声を掛けた。
「ええ。本当は部下たちが早く戻れと煩いのですが、何となく京に留まっていたのですよ。まさか、神子殿からの文を拝見出来るとはね。虫が知らせたのかな」
くすくすと小さな笑い声を上げながら、翡翠が答える。
「しかし、龍神に文を届けさせるとは……。やるね、我らが姫君は」
「同感だな。花梨の奴、相変わらず無茶なことをする」
感嘆しているのか呆れているのか判別が付かない口調の翡翠に、腕を組みながら勝真が同意する。
「泰継殿が付いていらっしゃいますから、大丈夫でしょう」
幸鷹の答えに多少複雑な表情を滲ませて、一同が頷く。
「さて、全員揃ったことでもあるし、そろそろ始めても良いのではないかな、幸鷹殿?」
視線を向けてそう促す翡翠に、幸鷹は頷いた。

「今日、皆に集まってもらったのは、文で知らせた通り、神子殿から我々に宛てた文が届いたからです」
言いながら、幸鷹は懐から紙を取り出した。それを広げて床の上に置く。
丸く円を描くように座っていた一同は、幸鷹が広げた紙を覗き込むように顔を近付けた。
「ほう。これが神子殿の世界の紙なのかい?」
職業柄珍しい事物に詳しい翡翠も、異世界の紙を見るのは初めてである。何事にも興味を示さない彼にしては珍しく、興味深げに花梨からの文を覗き込んだ。
「なんか変な紙だな」
「ああ。これが花梨の世界の紙なのか?」
並んで座っていたイサトと勝真が顔を見合わせながら言った。
「京の紙より滑らかな紙のようだな」
異世界の紙に深苑も目を大きく見開いている。
「それで、神子様はお元気なのでしょうか?」
紫姫の言葉に、「オレが読む」とイサトが花梨からの文を手に取った。
が、そのまま硬直状態になる。
「早く読めよ、イサト」
勝真に急かされたイサトは、手にした文を勝真に押し付ける。
「読めねぇ……」
押し付けられた勝真は、それを手に取り、しばらく考える。
京では文は普通縦に書くものだが、花梨の文は縦に読むと文字が全く揃っていないので読めない。しかしこの紙には横に何本もの線が引かれており、花梨の文字はそれに沿って書いてあるようだ。ということは、これは横に読むものなのだろう。
「横に読むんだよ、これは」
字体が京のものとは違うので、実に読み難い。第一、これは右から読むのだろうか。それとも左から読むのだろうか。
勝真は文を見つめたまま首を傾げた。考え込むその表情が、次第に難しいものになっていく。
「何と書いてあるのだ、勝真」
勝真の隣に座っていた頼忠が口を開いた。彼がこういう風に誰かを急かすのは珍しい事だ。
「………読めない……」
とうとう勝真は床に文を置いてしまった。
それを見た紫姫は不安になる。
花梨が物忌みのたびに泰継に送っていた文を、紫姫は思い出した。最後の頃は随分慣れてきたようだったが、花梨の文字はお世辞にも綺麗と呼べるものではなかったことを紫姫は知っていた。よく泰継があの文字を解読できたものだと思っていたくらいだから、せっかく花梨が送って来てくれたこの文を誰も読めないのではないかと思ったのだ。文字の書き方も、京のものとは違うようであるし……。

「では、私が読みましょう」
かさりと小さな音をさせながら文を床から拾い上げ、幸鷹が言った。皆が彼を注目する。
「読めるのか?」
心配そうに訊ねるイサトに微笑みながら頷くと、幸鷹は手にした文に視線を落とした。


「では、読みますよ。……『紫姫、深苑くん、頼忠さん、勝真さん、イサトくん、彰紋くん、幸鷹さん、翡翠さん、泉水さん、そして千歳。皆お元気ですか?』」
花梨の文を読み上げる幸鷹に、皆の視線が集まった。

『……こちらの世界に帰ってすぐに、泰継さんと再会しました。泰継さんは、龍神様の力で、こちらで生まれ育った人として生活しています。私は京に行く前と同じく、高校に通う毎日です。』

「泰継殿もご無事なのですね。ようございました」
玄武の片割れである泉水が安堵の表情を浮かべた。
「『コウコウ』って、何だ?」
聞いたことのない言葉に、勝真が呟いた。
「私は神子殿から伺ったことがあるぞ」
「どういう意味なんだよ?」
頼忠の言葉にイサトが訊ねた。
「神子殿は、ご自分の世界では『コウコウセイ』と呼ばれる学士なのだそうだ。学問をする場のことを『コウコウ』と呼ぶのだと伺ったぞ」
自分以外の者が『コウコウ』の話を神子から聞いていなかったせいか、頼忠の口調は少し得意気である。
「へえ。あいつ学士様だったのか! 人は見かけによらないな」
イサトが驚いて目を見開きながら声を上げた。
彼らの会話を聞いていた幸鷹は、口元に笑みを浮かべた。皆に見られないように、慌てて口元を手にした花梨の手紙で隠す。
皆は、自分が神子と同じ世界の人間であることを知らない。隠し事をしているようで多少の後ろめたさがあった。

『泰継さんは現在、先代の地の玄武だった安倍泰明さんと一緒に暮らしています。泰明さんは、先代の龍神の神子さんと一緒にこの世界に来た、泰継さんと同じく安倍家の陰陽師だった人です。先代の龍神の神子さんと先代の地の青龍、地の朱雀だった人たちにも会いました。百年前の地の青龍と地の朱雀は、こっちの世界の人だったんですよ!』

向こうの世界で百年前の神子と八葉に出逢ったという話に、幸鷹以外の全員が驚きの声を上げた。
「まあ! 百年前の神子様とお会いになったなんて!」
「百年前の八葉のうち二人が異世界の者だったとは……。星の一族の記録にも残されていなかったことだな、紫」
「はい、兄様」
この事は記録しておこうと深苑と紫姫は決心した。
「へえ、百年前の地の青龍と地の朱雀は、花梨と同じ世界のヤツだったのか」
「百年前の地の青龍か……。どんな奴だったんだろうな」
自分と同じ地の青龍が異世界の者だと聞いて、勝真は興味津々の様子である。
「そう言えば……」
ふと思い出したように頼忠が口を開いた。
「東の札を手に入れる時、あの白拍子が言っていたな。『お前も前の地の青龍同様、短気につっこんでくるのか』と……。きっとお前のように短慮で、感情に揺り動かされては突っ走る男だったのだろう」
「なんだと? じゃあ、百年前の天の青龍は、無口で無骨で愛想の欠片もない武士だったんだぜ、きっと」
――誰かさんみたいにな……。
わざと不機嫌な表情を作ってそう切り返した勝真は、頼忠と顔を見合わせて笑い合った。
「じゃあ、百年前の地の朱雀ってのは、彰紋みたいに東宮様だったかもしれないな」
イサトが向かいに座る彰紋に話し掛けた。
「それは…どうでしょうか。花梨さんの世界には身分制度がないと仰っていましたし……」
「あっ、そっか」
彰紋の言葉にイサトが頷く。そう言えば、花梨の世界には貴族もいないとか言っていたなと思い出す。
「百年前に龍神の神子様が降臨された時にも、安倍家の陰陽師が八葉に選ばれたと聞いていましたけれど、その方も泰継殿と同じく百年前の神子様と一緒に神子様の世界へ行かれていたなんて……」
「ええ、本当に……。でも先達がいらっしゃると聞いて安心いたしました。神子がいてくださるとは言え、泰継殿は見知らぬ世界にお独りで大変でしょうから…」
驚く紫姫に、泉水が相槌を打った。神子が京に来た当初のことを思えば、京と神子の世界が全く違う世界であることは容易に想像が付いた。あの泰継のことだから、異世界にもすぐ慣れるだろうとは思っていたが、やはり先達がいれば心強いはずだ。泉水は微笑みを浮かべた。
「……ってことは、百年前の神子が選んだのも地の玄武だったってことか?」
勝真の指摘に一同沈黙する。
八葉たちは皆花梨に惹かれていたので、勝真の言葉に一様に複雑な表情を浮かべた。
――異世界の少女は皆、陰陽師が好きなのだろうか……。
この場にいる誰もが心の中でそう思った時、一人だけくすくすと笑い声を上げた者がいた。
皆が声がしたほうを注目する。
幸鷹だった。
「何だね、幸鷹殿?」
「いえ……」
怪訝そうな視線を向けた翡翠に、幸鷹は笑うのを止めた。
「文の続きを読みますよ」
そう言って、花梨からの手紙の続きを皆に読み聞かせる。

『泰継さんは、こちらの世界に来て髪を切りました。長い髪も綺麗だったから少し勿体無いような気がしたけど、短い髪もよく似合っていて素敵です』

「何惚気てんだよ」
イサトが口を尖らせる。
「まあまあ。神子殿の泰継への気持ちは君も知っていただろう? これくらい許してやりたまえ」
翡翠が宥めるように言った。年の功から来るのか、何やら余裕のあるその言葉に、イサトは渋々口を閉じた。
確かに花梨が泰継に思いを寄せていたことは、此処にいる全員が知っていた事だ。花梨自身が何も言わなくとも、彼女は感情が顔や行動に表れ易い少女だったから、周りの人間にはバレバレだったのだ。
微笑ましく思えるほど一途な花梨の想いに、紫姫を中心に彼女に思いを寄せていた八葉たちも、彼女が幸せであるのならと、花梨の想いが泰継に届くように色々と協力していたくらいだ。泰継といる時の花梨の笑顔が余りにも眩しく感じられたから、誰もがこの笑顔を守りたいと思ったのだ。
だから、多少のお惚気は仕方がないかと誰もが思い、幸鷹が文を読むのを微笑みを浮かべて聞いていたのだ。

しかし――…

次々に幸鷹が読み上げる花梨の文の内容に、一同が浮かべていた微笑みは次第に引きつった笑いに変化していった。花梨の文は近況報告とは言うものの、自分のことは全く書かずに彼女の想い人のことばかりが書き連ねられていたのだ。
少しぐらいのお惚気は寛大な心で聞いてやろうと思っていた面々は、その後も『泰継さんは…』『泰継さんが…』で始まる文章ばかりを読み聞かされ、『もし龍神様が許してくれたら、また文を送ります。皆も元気でね』との締めくくりの文章を幸鷹が読み上げた頃には、ほぼ全員が笑みを消して黙り込んでしまっていたのだった。


「……あいつ、わざわざ俺たちに惚気を聞かせるために龍神の力を使ったのか……?」
しばらくの沈黙の後、最初に立ち直った勝真が呟く。実は、京を守る戦いの間、勝真は花梨と泰継と共に行動する機会が最も多かったため、他の八葉たちに比べ二人に当てられることには慣れていたのだ。
「…信じらんねぇ奴……」
勝真の呟きに我に返ったイサトが半ば呆然と言った。
「イサト……」
彰紋が嗜めるように口を開いた。
「文の内容から、花梨さんがお元気だということは分かるのですから、それで良いではありませんか」
想い人のことばかり書いて寄越したという事は、向こうの世界に帰ってからも花梨が泰継と仲良く過ごしているという証拠だろう。
「彰紋様のおっしゃる通りですわ」
「そうですね。神子も泰継殿もお元気のようで安心いたしました」
紫姫に同意した泉水が微笑みを浮かべた。泉水も泰継と同じ玄武の加護を受ける者として、勝真の次に花梨と泰継と共に行動する機会が多かったのだが、二人に当てられるのは嫌な事ではなかったのだ。それは、泉水が二人の関係が進展することを望み、見守っていたからだった。母にすら役に立たないと言われ続け、自らもそう信じ込んでいた泉水を、仲間として受け入れ認めてくれたのは花梨と泰継だったから。
「まあ、確かに泰継が自分で近況を知らせて来る訳ないもんな」
近況報告の文を書く泰継の姿を想像し、勝真が言った。あの超合理主義者の陰陽師が、わざわざ龍神に文を託してまで近況を知らせて来るとは思えなかった。
勝真の言葉に皆が頷いた時、またもや小さな笑い声が聞こえて来た。
「先程から何だね、幸鷹殿?」
さっきはイサトを宥める余裕を見せていた翡翠だが、今度はさすがにその余裕はなかったらしい。
「いえ……。泰継殿からの文もちゃんと届いていますよ」
「なにっ!?」
「本当か!?」
笑いを堪えながら翡翠に話す幸鷹に、勝真とイサトが驚きの声を上げた。
泰継の事だ。知らせる必要がない事を、わざわざ知らせて来るとは思えない。
「まさか、花梨に何かあったんじゃないだろうな!?」
もしや、あのお惚気満載の文は実は本当の事を隠すためのもので、向こうの世界で何か問題があったのかと思い、勝真が声を上げた。その声に、一同真剣な表情を浮かべる。
「落ち着け、勝真」
思わず腰を浮かせた勝真の肩を頼忠が掴み、再び円座の上に引き戻した。
「早く読めよ、幸鷹!」
堪え性のない性格のイサトが急かす。
「では、読みますよ――」
皆が注目する中、幸鷹は花梨の文の最後に書かれていた泰継の文に視線を落とす。
勝真とイサトがごくりと喉を鳴らした。



『神子は息災だ。問題ない』



「「はあ!?」」
勝真とイサトが素っ頓狂な叫び声を上げた。
「「「「「…………………」」」」」
他の者たちは、言葉も無く呆然としていた。ただ一人を除いては……。

「ようございました。泰継殿が『問題ない』と仰るからには、神子には何事も無くつつがなくお過ごしなのでしょう」
おっとりとした口調でそう言う泉水に、皆の視線が集まった。

「………確かにそうかもしれませんわね……」
長い沈黙の後、泉水の言葉に紫姫が頷く。かつて神子に泰継の人となりを説明する際、無駄を嫌い端的な物言いをする人物であると評したのは自分だったと思い出す。
――少し端的過ぎる気はするのだが……。
「まあ、確かに彼は事実しか口にしない人だからね。姫君には何の問題もないのだろうねぇ」
「でもよぉ。もっと何か書いてきてもいいんじゃないか?」
イサトが不満そうに言った。
「恐らく、神子殿にせがまれて仕方なく書かれたのでしょう。泰継殿が神子殿の頼みを断るとは思えませんから……」
文を折り畳みながら、幸鷹が苦笑する。
「……あり得るな…」
幸鷹の指摘に勝真が相槌を打った。皆もそれぞれに頷く。

「でも、神子様も泰継殿もお元気だと分かっただけでも良かったですわ」
「ええ。お二人がいつまでもお幸せであるように、僕達はこの京からお祈りしようではありませんか」
「そうだな」
彰紋の言葉に皆がそれぞれに相槌を打った。


二つの世界に別れ、再び相見えることがなくとも、自分たちは京を共に守り抜いた大切な仲間なのだから――…。



「せっかく久しぶりに皆が集ったのだ。神子と泰継殿を偲んで宴にしようではないか」
深苑の言葉に皆が賛成の声を上げる。
既に準備が整えられているであろう酒や料理を運ぶよう女房に伝えるため、深苑が退出する。

「でもよ。花梨の奴、『また文を送ります』なんて書いてたけどさ。また惚気しか書いてなかったらどうすんだよ?」
――オレ、惚気ばっか聞きたくねぇからな!
口を尖らしながらイサトが漏らした言葉に、和やかな空気が一瞬で固まった。
「言うな、イサト。実は俺もその可能性大だと思っていたんだ」
勝真が言った。
「しかし、神子殿が文を送って下さったら、こうして皆が集まる良い機会になるのではないか?」
「そうだね。その時は私も是非お邪魔したいね」
頼忠の言葉に翡翠が同意する。
「この機会に足を洗ってはどうですか?」
「おやおや。私が海賊をやめる気がないことは、君が一番良く知っているのではないかね、別当殿」
くすくす笑いながら翡翠が言う。


やがて料理が運ばれ、宴が始まる。
それは神子と泰継を偲んで、また久しぶりに全員が集ったことを祝して、夜半まで催されたという。







〜了〜


あ と が き
「神子のお願い」を書いていた時、「花梨ちゃんは一体どんな手紙を送ったんだろう?」「泰継さんが書き添えた一言ってどんな言葉だったの?」「それを読んだ八葉の皆さんの反応は?」と思って考えてみた結果できた、実にくだらないお話です。同じくくだらない「物忌みのお相手は」のおまけ創作「姫さま、ふぁいとっ!」の設定も若干使っているため、ギャグ・テイストになっています。そのため、少しばかり壊れているキャラも……。特に花梨ちゃん。登場していないのに壊れています(笑)。
今回のお話で、最強の八葉はなんと泉水さんであった!という事実が判明致しました。超ラブラブなうちの地玄武×神子カップルに、当てられても惚気られても全く動じないうちの泉水さん。いい相棒じゃないですか! 見直しました、この方(笑)。面白いので、また書いてみたいです。でも多分ギャグ……。
今回、一応八葉全員に喋ってもらいました。「遙か2」の八葉は全員書いてみたいと思っていたので、叶って良かったです。
読んで下さった皆様、ありがとうございました!
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